- プロ野球選手一覧 > カルロス・ミラバル
カルロス・ミラバル(Carlos Mirabal)とは、アメリカ合衆国出身のプロ野球選手である。
概要
OB | |
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カルロス・ミラバル Melvin Bunch |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ニュージャージー州 |
生年月日 | 1973年4月24日 |
身長 体重 |
188cm 88kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投両打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1996年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
1973年4月24日生まれ。アメリカ合衆国ニュージャージー州バーゲン郡出身。
バーゲン・カウンティ・テクニカル高等学校卒業後、1996年にアメリカ独立リーグのアルトゥーナ・レイルキングスと契約し、プロとしてのキャリアを歩み始めた。
1997年からは台湾大聯盟の嘉南年代勇士で2シーズンプレー。
1999年、台湾プロ野球の和信ホエールズに入団。抑え投手としてプレーし、43試合に登板して2勝1敗13セーブ、防御率1.87という好成績を残し、最優秀防御率のタイトルを獲得した。
2000年、日本ハムファイターズに入団。抑え不在のチーム事情ということもあり、守護神として期待されての入団であった。
初年度の2000年、抑え投手としてシーズン通して起用され、48試合に登板して、1勝3敗19セーブ、防御率3.65という成績を残した。
2001年も抑えとして起用され、2勝6敗18セーブ、防御率3.44という成績を残した。ただ、2シーズン連続で防御率3点台を記録し、試合を締める役割としてはやや不安があるという判断から、シーズン半ば頃からは中継ぎ投手として、最終盤には先発投手として登板していた。
2002年、開幕から先発投手として起用され、金村暁とともにローテーションの軸として活躍。後半戦に故障により離脱してしまったものの、金村に次ぐ9勝を挙げ、防御率3.37とまずまずの成績を残した。
2003年、開幕投手を任され、パ・リーグ最多の31試合に先発登板するなど、故障で出遅れた金村に代わりエースとして活躍。16勝を挙げチームの勝ち頭として結果を残したが、防御率4.65、自責点100はパ・リーグワーストの成績であった。
2004年、前半戦は調子が上がらなかったものの、後半戦に調子を上げて、11勝9敗、防御率4.82という成績を残した。
2005年、自身2度目の開幕投手を任されたが、故障に苦しみ、シーズン途中で解雇されてしまった。
日本ハム退団後、アメリカ独立リーグで2008年までプレーし、現役を引退。
2015年に一度現役復帰。その後、ドイツやプエルトリコで監督やコーチとの兼任でのプレーを経験。少年野球向けの指導者としても活動した。
2022年にアメリカ独立リーグで再び現役復帰し、2022年・2023年に1試合ずつ登板している。
プレースタイル・人物
150km/h超えのストレートとナックルカーブを武器に、打たせて取る投球で活躍した右腕。
投手としては珍しい背番号00を使用した選手でもあり、日本ハムではミラバル以降背番号00を付けた選手は現れていない。
台湾時代にアレックス・カブレラとチームメイトであったが、犬猿の仲であった。2002年にはカブレラへの死球が元で乱闘騒ぎを起こしている。
成績
通算投手成績
通算:7年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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CPBL:1年 | 43 | 0 | 0 | 2 | 1 | 13 | 0 | .667 | 91.2 | 20 | 62 | 23 | 19 | 1.82 |
NPB:6年 | 180 | 9 | 2 | 39 | 38 | 37 | 0 | .506 | 600.2 | 200 | 353 | 321 | 288 | 4.32 |
関連動画
関連項目
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