メジロモントレーとは、1986年生まれの日本の競走馬である。黒鹿毛の牝馬。
気が向かないときは凡走し、一度走る気になれば凄まじくキレる末脚を発揮する。その気性で陣営を度々振り回した「メジロの気まぐれお嬢様」。
主な勝ち鞍
1989年:クイーンステークス(GIII)
1990年:アルゼンチン共和国杯(GII)、金杯(東)(GIII)
1991年:アメリカジョッキークラブカップ(GII)
※当記事では活躍した当時に合わせて旧馬齢表記(現在の表記+1歳)を使用しています。
概要
父モガミはメジロ軍団総帥北野豊吉氏が生前シンボリ牧場の和田共弘氏と共同で所有したフランス生まれの外国産種牡馬。既に初年度産駒からダービー馬シリウスシンボリ、2世代目の産駒からは三冠牝馬メジロラモーヌを輩出して大成功を収めていた。
母メジロクインシーはメジロ牧場で一大牝系を築いた名牝メジロボサツの娘で、未出走で繁殖入りした。
母父フィディオンは野平祐二調教師がフランスで見出し、モガミと同じく北野氏と和田氏が共同で購入した種牡馬。代表産駒には菊花賞、有馬記念を勝ったメジロデュレンがいる。
1986年4月25日に当時メジロの馬を多く預託され、後にメジロデュレン、メジロマックイーンの兄弟を送り出す吉田堅氏(現吉田ファーム)によって生産された。母メジロクインシーはその父フィディオン譲りの気性の激しさを持っていて、乳を飲みに来たモントレーを蹴ろうとしたり噛みついたりするなどした為、牧場のスタッフが常に2頭の間に入っていなければならなかった。モガミ産駒はボテッとした腹袋がある体型が産駒に受け継がれることが多かったが、「魔性の青鹿毛」とまで言われたメジロラモーヌほどではないにしてもメジロモントレーもバランスの取れた均整な馬体に育ち、牧場関係者からは三冠牝馬ラモーヌの再来を期待されていた。
3歳になったメジロモントレーはメジロラモーヌも管理した美浦の奥平真治調教師に預けられることになった。本来メジロ牧場以外で生産された競走馬はメジロ商事の名義で走ることになっていたのだが、奥平師に預けられるメジロの馬はメジロ牧場が馬主となる慣例があり、メジロ牧場産ではないにもかかわらず馬主がメジロ牧場という変わった陣営体制でのスタートとなった。
現役時代
1988年8月の函館開催の新馬戦にてデビュー。ここでは2着に敗れてしまったが、中1週で挑んだ折り返しの新馬戦で勝ち上がり、3戦目からは若手の横山典弘騎手とコンビを結成。かつてのメジロラモーヌと同じく12月のテレビ東京賞3歳牝馬ステークスへ出走した。しかし夏に新馬戦を勝ったばかりの馬が人気になるのはさすがに無理があり、7番人気の伏兵的評価に留まった挙句着順は後にライバルとなるカッティングエッジの10着といいところなく敗退した[1]。
年明けの4歳初戦のオープン戦ジュニアカップを4着に落とした後、自己条件に戻って400万下のダート1700m戦に出走。芝で良いところが無かったこともあって1番人気に支持され、着順も上がり3位の2着と持ち直した。その後メジロモントレーは当初の予定通りクラシック参戦を目指して前哨戦のGIIIフラワーカップに出走。前走の好走もあり3番人気に推されたが、出足がつかず後方からとなり、上り最速タイで追い込んだものの3着まで。陣営はこの敗戦で無理に桜花賞へ挑むことは諦め、「オークス1本」として調整していくことになった。
メジロモントレーは4月の400万下条件戦を再び後方から上り最速の追い込みで勝利した後、鞍上をメジロラモーヌの主戦であった河内洋騎手に乗り替わりの上オークストライアルサンスポ賞4歳牝馬特別に出走する。ここではシャダイカグラを始めとする桜花賞の上位陣が不在だったため単勝2.4倍の1番人気に支持されたが、再び出遅れて優先出走権ギリギリの4着に敗れた。河内騎手は「スタートダッシュが効かないのは元々だと思う。オークスも多分同じことになる」と述べていた。本番のオークスでは桜花賞馬シャダイカグラに次ぐ2番人気に支持されたが、ゲート内で立ち上がるなどイレ込んでしまい、スタートでは河内騎手の懸念していた通り出遅れてしまいポジションが取れず、上り最速で追い込んだものの勝ったライトカラーと2着シャダイカグラから4馬身近く離された5着に終わった。後に奥平調教師は「春のメジロモントレーはまだ本格化する前だった。本来はあんなに人気するような時期じゃなかった」と述べている。
その後メジロモントレーは夏の函館開催へ回り自己条件の900万下ポプラステークスへ出走した。オークス5着馬ということもあり1.6倍の圧倒的1番人気に支持されたが、芝1800メートルという適正からすれば短すぎる距離に4着敗戦。しかし距離を2500mに伸ばして同じく1番人気に支持された次走の松前特別では最後方から上り最速で追い込み4馬身差で圧勝した。夏の休養を挟んで柴田正人騎手に乗り替わって出走したGIIIクイーンステークス(芝2000m)ではかつて敗れたカッティングエッジに1番人気を奪われたが、上り2位の末脚を繰り出してレディゴシップをクビ差抑えて重賞初勝利を達成した。奥平調教師は「夏を越えて気性面で大きく成長したし、エリザベス女王杯は2400mで今回より距離も有利になる。今度は人気に見合うレースをしたい」とコメントを出し三冠最後での戴冠に期待を寄せた。
丁度1か月後に行われた牝馬三冠最終戦のエリザベス女王杯では奥平調教師の期待通り再びオークスと同じくシャダイカグラに次ぐ2番人気に支持された。レース本番では中団後ろから追走し最終コーナーで先頭に並びかけたものの、そこから繰り出されるはずの末脚が全くの不発に終わり、そのまま伸びず7着に敗れた。1番人気のシャダイカグラは故障により競走中止。勝ったのは20頭立て20番人気のサンドピアリスであった。奥平調教師は「いつもより前だったけど無理をしてそうなったわけじゃない。距離もあっていたと思うし、なんで負けたかは馬に聞きたいくらい」と困ったように首を傾げた。12月には年内最終戦としてターコイズステークス(OP)に出走。調教内容が良かったため1番人気に推されたが、本番では良いところなく5着に敗れてしまった。
4歳時は年明け最初の重賞であるGIII金杯(東)から始動。これまで手綱を取ってきた柴田騎手に代わってクラシック直前までコンビを組んでいた横山騎手に乗り替わりとなった。横山騎手はかつて乗っていた時の経験も踏まえてメジロモントレーは後ろ過ぎず前過ぎずの「ギリギリ届く距離」から仕掛けるのがもっとも良いと考え、道中はいつも通り15頭立て14番手の後方に構え、終盤にポジションを8番手まで上げてから一気に追い込み、上り最速で2着バリエンテーをクビ差差し切り重賞2勝目を挙げた。奥平調教師はつい一月前は全く走る気を見せなかったメジロモントレーが再び凄まじい末脚を発揮したのを見て「この馬は本当に気分次第で走るかは知らないか決めてるんだなぁと思い知らされました」と頭を抱えることになった。
年始の金杯を勝利したメジロモントレー陣営はその後の春競馬での成績次第では天皇賞(春)へ挑むという方針を打ち出した。距離適性的には確かに向いている舞台ではあると思われてのことだったが、2月の目黒記念、3月の中山記念では対戦相手の層の厚さもあり、どちらも上り2位の末脚を発揮してもなお着外に敗れ、休養して立て直すことになった。
休養からの復帰は10月のGIII牝馬東京タイムズ杯となったものの、前走から+34kgと明らかな調整ミスでの出走となり、レースでも18頭立て17着と惨敗であった。陣営はこの敗戦を長い休養からの叩きと割り切り1か月後のGIIアルゼンチン共和国杯(芝2500m)に出走した。馬体重は前走から-14kgと少しは戻せたが、調教での動きは相変わらず悪いままで、単勝支持率も9番人気に留まっていた。しかし鞍上の横山騎手はメジロモントレーがレース本番直前に走る気になった事を感じ取り、前回勝った金杯と同様に後方に構えて最終直線で仕掛けると、当時の馬場ではなかなか見られない上り最速34.8秒の強烈な末脚を発揮してリアルバースデーを半馬身差仕切り重賞3勝目を達成した。横山騎手はレース後に「今日はパドックから落ち着いていていい予感がしていた。気分よく走るとすごい脚を使ってくれる」と語った。
その後メジロモントレーは一時はこのまま有馬記念に出走するとも言われていたが結局回避し、年始のGIIアメリカジョッキークラブカップに出走することになった。1990年のメジロ軍団の重賞初出走ということで北野ミヤ氏も競馬場へ訪れた。メジロモントレーは前走の勝利もあり人気も持ち直して4番人気。1番人気は前走で芝2500mを上り最速で勝利してきたパソドラード、2番人気はこれまで多くのGIで好走してきた9歳馬ランニングフリー。引退レースということもあり応援馬券も売れていた。3番人気は今年の金杯を勝利してきた同期カリブソングであった。レースではいつも通りとはいえ最後方からの追走となり、直線半ばでは馬群の真っ只中と観戦していたミヤ氏を終始ハラハラさせていたが、最期には前走に匹敵する34.9の上り最速の末脚を繰り出して馬群を割り、先頭争いをしていたカリブソングとランニングフリーを差し切って重賞2連勝。横山騎手は「一瞬の切れはライアンにも引けは取らない」と当時「自分の乗ってきた馬では1番強い」と公言してはばからなかったメジロライアンの名前を出して称賛した。しかし観戦していたミヤ氏からは「(馬群から)出られないかと思ったね。ほんっとにアイツはああいうことするから…」とお褒めの言葉はもらえなかった。
その後は前年同様天皇賞(春)への挑戦が取りざたされたが出走はせず休養。秋に毎日王冠へ出走したが13頭立て11番人気12着と惨敗し、これを最後に現役を引退した。
引退後
引退後はメジロ牧場で繁殖牝馬となり9頭の産駒を送り出した。主な産駒はメジロマックイーンとの仔で中央で7勝を挙げたメジロアトラスと重賞を勝利する産駒は現れなかったが、8戦未勝利に終わった8番仔メジロフランシスがGIを6勝し2015年の年度代表馬を受賞した名馬モーリスを送り出した。メジロモントレーはその気まぐれさゆえにGIを勝利することなく引退となってしまい今となっては語る人間も少なくなった過去の馬ではあるが、今も種牡馬として活躍するモーリスやその産駒たちの血統表を見た時、ほんの少し視線を右にずらせば、遠い過去の馬であるメジロモントレーのことも、少しは身近に感じられるかもしれない。
血統表
*モガミ Mogami 1976 青鹿毛 |
Lyphard 1969 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Goofed | Court Martial | ||
Barra | |||
*ノーラック 1968 黒鹿毛 |
Lucky Debonair | Vertex | |
Fresh as Fresh | |||
No Teasing | Palestinian | ||
No Fiddling | |||
メジロクインシー 1981 鹿毛 FNo.5-e |
*フィディオン 1972 鹿毛 |
Djakao | Tanerko |
Diagonale | |||
Thessalie | Sicambre | ||
La Tournelle | |||
メジロボサツ 1963 栗毛 |
*モンタヴァル | Norseman | |
Ballynash | |||
メジロクイン | シマタカ | ||
コウゲン | |||
競走馬の4代血統表 |
- 母母メジロボサツは1965年の朝日杯3歳ステークス勝ち馬。
- メジロボサツから延びる牝系はメジロ牧場最古ということもあり近親にはGI5勝のメジロドーベル、中山グランドジャンプを勝利したメジロファラオなど多くの活躍馬がいる。
関連動画
動画内の11:30~91年のアメリカジョッキークラブカップの映像がある。
牝馬三冠路線での走り。
関連コミュニティ
関連項目
脚注
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