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ラリーシーツ
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ラリー・シーツ(Larry Kent Sheets)とは、元プロ野球選手である。

概要

1959年12月6日生まれ。アメリカ合衆国バージニアスタントン出身。

1978年MLBドラフトにて、2巡(全体の29番)でボルチモア・オリオールズから名され契約

長らくマイナーリーグで実を磨き、1984年メジャーデビューを果たし、8試合出場と少ない出番ながら、打率.438ハイアベレージを記録1985年からメジャー定着を果たし、レギュラー格としてプレー1985年には17本塁打を放つと、翌1986年には18本塁打を放った。1987年打率.316、31本塁打、94打点とキャリアハイとなる好成績を残している。1990年デトロイト・タイガースへ移籍し、10本塁打を放っている。

しかし、契約面で揉めてしまい、1991年イタリアセミプロリーグプレーしている。

1992年横浜大洋ホエールズに入団。長打に欠けるジム・パチョレックに代わっての入団であり、長打を期待されていた。

1992年、4番レフトとして起用されると、安定感のある打撃で活躍し、オールスターゲームにも出場。最終的には、打率.308、26本塁打100打点という成績を残し、打点王タイトルを獲得。外野のベストナインにも選出された。

ただ、シーズン終了後、契約更新されずに大洋を退団。退団の理由には、シーツがメジャー再挑戦したかったため、パ・リーグ球団へのトレードを画策していた事を知り拒否した、長打不足や守備面のまずさを問題視された、代理人がメジャー復帰を画策していた、など様々な要素が挙げられているが、実際どれが決め手になったのかは不明である。

1993年シアトル・マリナーズ契約。11試合の出場に終わり、同年限りで現役を引退している。

人物・エピソード

抜群の勝負強さを持ち味として、理に本塁打を狙わず巧みに打ち返す打撃で、安打打点を量産したクラッチヒッター。横浜大洋ホエールズが獲得した最後の外国人選手として知られている。

エースキラーでもあり、MLB時代にはノーラン・ライアンから「最も打ち取りにくい打者のひとり」と称された他、NPB時代には、斎藤雅樹岡林洋一仲田幸司といったエース格の選手相手に4~5割近い打率記録していた。

息子のギャビン・シーツもメジャーリーグで活躍している。

通算成績

打撃成績

通算:9年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
MLB:8年 748 2501 2284 273 607 94 339 6 2 21 175 19 351 77 .266 .321
NPB:1年 131 537 487 61 150 26 100 1 0 4 40 6 59 17 .308 .365

獲得タイトル・表彰・記録

関連項目

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