- プロ野球選手一覧 > 国貞泰汎
国貞泰汎(くにさだ やすひろ)とは、元プロ野球選手である。
概要
OB | |
---|---|
国貞泰汎 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県呉市 |
生年月日 | 1944年1月1日 |
身長 体重 |
165cm 72kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 1962年 |
引退 | 1975年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
呉港高等学校に進学。県内でもトップクラスの強打者として知られ、その打力は、練習中に国貞があまりにも打球を飛ばすことから、特製のフェンスが設置されるほどであった。3年時には夏の甲子園大会に出場し、チームをベスト4まで導いている。
入団から2年間は一軍出場無し。
1964年、セカンドのレギュラーとして期待されたジョニー・ローガンが期待外れに終わり、6月頃からセカンドのレギュラーに定着。打率.247、5本塁打、22打点を記録し、パ・リーグ制覇に貢献。日本シリーズでもタイムリーヒットを放つなど活躍を見せて、日本一にも貢献した。
1965年は近鉄バファローズから移籍してきたブルームと併用されたが、1966年はレギュラーの座を奪取し、初めて規定打席に到達。打率.264、7本塁打、39打点を記録。セカンドのベストナインにも初めて選ばれた。
1967年、キャリア最多の11本塁打を記録。1968年、サードを中心に起用され、打率.276、8本塁打、54打点を記録し、サードのベストナインにも選ばれた。
広島ではセカンドのレギュラーとして活躍。1971年、打率.274(セ・リーグ9位)、50打点を記録し、ベストナインに選出。1972年にはキャリアハイとなる打率.293を記録。
1973年に右肩を故障して以降は出場機会が減少。
1974年シーズンオフ、自由契約となる。その後、阪神タイガース移籍がまとまりかけていたものの破談となり、太平洋クラブライオンズにテスト生として春キャンプに参加し、テストに合格して正式に入団。ただ、太平洋では全盛期ほど活躍できず、衰えを実感した国貞は同年限りで現役を引退している。
引退後は飲食店を経営する傍ら、少年野球の指導者として活動。この他、野球解説者としても活動していた。
人物・エピソード
しぶとさと果敢にプレーするガッツが売りの内野手。しゃがみ込むような打法が特徴的であった。
1966年にベストナインを受賞しているが、セカンド・サードともに得票数トップとなり、票数の多かったセカンドで同賞を受賞している。
愛称は「ゴリ」。容姿がゴリラ似ていたことに加え、打席に入る際に両肩を揺すって歩いていたことが由来。納会などでは自らゴリラのマネをすることもあったという。
性格は非常に陽気。広島加入時には「おとなしいチームカラーを変える」と意気込み、その言葉通りムードメーカーとしてチームを盛り上げていた。
通算成績
打撃成績
通算:12年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 1252 | 4127 | 3743 | 356 | 977 | 57 | 347 | 52 | 23 | 19 | 315 | 27 | 382 | 93 | .261 | .321 |
獲得タイトル・表彰・記録
関連項目
- 0
- 0pt