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小田真也(おだ しんや)とは、元プロ野球選手である。

概要

OB
小田真也
基本情報
日本日本
出身地 和歌山県新宮市
生年 1961年1月18日
身長
体重
184cm
86kg
選手情報
投球・打撃 右投右打
守備位置 投手
プロ入り 1981年 ドラフト3位
引退 1993年
経歴
選手歴
プロ野球選手テンプレート

1961年1月18日生まれ。和歌山県新宮市出身。

新宮商業高等学校に進学。3年間で甲子園大会出場歴はし。

卒業後、京都大丸に入社。

1981年ドラフト会議にて、西武ライオンズから3位名を受け入団。同期入団には伊東勤金森栄治工藤公康がいた。

左の本格投手として期待されての入団であったが、入団から2年間は一軍登板し。

3年1984年二軍先発ローテーション入りし、小野和幸に次ぐ防御率を残し一軍デビューを果たしたが、3試合の登板防御率7.04と冴えない成績に終わった。

1985年キャンプ終了時に広岡達朗監督から「今のままでは一軍では使えない」と断言され、サイドスローへの転向を打診され、フォー改造に取り組んだ。

1986年オープン戦で結果を残し、一軍に定着。永射保が任されてきた左のワンポイントリリーフとして登板を重ね、35試合の登板で2勝1敗1セーブ防御率3.45という成績を残し、パ・リーグ連覇に貢献。その後、チーム日本一いたが、日本シリーズでは小田ではなく経験豊富な永射がワンポイントとして起用されたため、日本シリーズでの登板かった。

1987年、23試合の登板防御率5.17と成績を落としたが、同年の日本シリーズでは2試合に登板している。

1988年チーム最多の41試合に登板し、1勝1敗5セーブ防御率3.48と活躍。

その後2シーズンは低迷したが、1991年には33試合に登板して1勝1セーブ防御率1.31と抜群の安定感を発揮し、リリーフを支えた。

しかし、1992年は10試合の登板に終わると、1993年には新人の杉山賢人が左のリリーフとして起用され、小田は一軍登板しに終わり、同年限りで現役を引退

引退後、飲食店を経営した後、現在スポーツ用品店で勤務しているという。

人物・エピソード

カーブシュートなどを武器に、対左打者相手に起用され続けた左キラーリリーフ

サイドスロー転向時、永射保を参考にフォームを改造していったが上手くはまらず、柴田保光フォームを参考にしたところ、投球が安定するようになったという。

西武球場での登板曲は、童謡クラリネットをこわしちゃった」であった。

通算成績

投手成績

通算:9年 登板 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 196 0 0 4 6 9 --- .400 139.1 52 86 71 68 4.39

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