山部太単語

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ヤマベフトシ
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山部太(やまべ ふとし)とは、元プロ野球選手である。

概要

1971年1月4日生まれ。愛媛県八幡浜市出身。

八幡浜工業高等学校に進学。チームエースとして活躍し、2年時には、の県大会で、春の甲子園大会優勝高校を破るなどインパクトのある活躍を見せたが、甲子園大会に出場することはなかった。プロからも注を集めたが、に不安があったことから、就職を選択し、社会人野球へ進むことを決めた。

卒業後、NTT四国に入社。同期西山一宇とともに左右のダブルエースとして活躍。4年連続で都市対抗野球大会に出場し、日本代表にも選ばれるなど、アマチュアの左腕として名を馳せた。

1993年ドラフト会議にて、ヤクルトスワローズを逆名し、1位名を受け入団。同期入団には度会博文がいた。

初年度の1994年、16試合に登板し1勝6敗、防御率4.03という成績を残す。二軍では西武ライオンズ戦で竹下潤と投げあい、両投手ともにノーヒットノーランを達成する『チーム安打試合』というしい記録を達成している。

1995年、開幕戦から一軍ローテーションに定着すると、前半戦だけで11勝を挙げるなどブレイクを果たし、オールスターゲームにも初出場を果たした。後半戦は先発だけでなくリリーフもこなし、最終的には16勝7敗、防御率3.83という成績を残し、セ・リーグ制覇・日本一に大きく貢献した。

1996年、前年同様ローテーションの軸として活躍し、2年連続でオールスターゲームに出場したが、後半戦は肩を故障しほとんど投げられなかった。

1997年以降は肩の故障ので低迷が続いた。2001年頃から投球スタイルを転向している。

2003年中継ぎ投手として起用され、34試合の登板で2勝、防御率1.05と復活を果たす。

だが、2004年は25試合に登板して防御率9.78、2005年は40試合に登板して6.43と結果を残せなかった。

2006年、現役引退

引退後、ヤクルトに残り、投手コーチフロント入りして編成部を担当。

現在ヤクルトの球団職員を務めている。

人物・エピソード

キレのある直球と、落差の大きいスローカーブ武器に活躍した左腕。

肩を故障して以降は、緩急を生かした軟投としてワンポイントリリーフなどで活躍した。

ルーキー時代に記録した両チーム安打試合は、一・二軍通じてNPB一の記録である。

通算成績

投手成績

通算:13年 登板 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 269 7 4 45 45 2 6 .500 740.2 378 651 401 362 4.40

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