常南電気鉄道とは、かつて茨城県に存在した鉄道事業者及びその路面電車である。
通称は常南電車。
概要
霞ヶ浦海軍航空隊が1922年に発足するとその人員輸送を目的に設立された。
路線は常磐線の土浦駅を起点に、阿見の霞ヶ浦飛行場を経由してこれまた常磐線の荒川沖駅までを結ぶ「阿見線」と、谷田部を経由して常総線の水海道駅までを結ぶ「谷田部線」の2路線を計画していた。しかし、実際に開通したのは阿見線の土浦駅前から阿見までに留まった。
敷設免許は根崎~阿見間は軌道法による特許を、谷田部~根崎~土浦間は地方鉄道法による免許を取得している。この使い分けの意図は不明ながら、地方鉄道補助法による助成金が目的であったとも言われる。
石岡市柿岡にある気象庁地磁気観測所からそう遠くないにも関わらずいち早く直流電気動力の認可を得られた事は特筆に値するとかしないとか。集電装置にトロリーポールを採用する事で漏れ電流を発生させないようにしていたようだ。
鉄道路線の廃止後は社名を常南バスに改めてバス専業となり、1944年7月22日に鹿島参宮鉄道(後に関東鉄道となる会社の一つ)に合併された。
阿見線
1924年に着工し、1926年10月9日にまず根崎(後に桜川に改称)から阿見までの4.1kmの区間が開業。1928年3月22日には土浦駅前から根崎までの0.5kmの区間が開業した。
荒川沖駅に接続する構想の他、1922年に公布された鉄道敷設法による予定線にある「茨城県土浦ヨリ江戸崎ニ至ル鉄道」を元に江戸崎まで路線を伸ばす構想もあったと言い、変電所にもそれに備えた強力な設備が設けられていたらしい。
開業直後は予想以上の乗客数を記録するが、そこからは横ばい、減少と転じていく。背景として路線開業時には既に区間の並行するバスが運行されていたり、航空隊員の輸送を見込みながらも隊員の輸送に船が利用されていたり、そもそも徒歩で移動可能な距離であった事などが挙げられている。
一時は常磐線に合わせて深夜まで運転して接続したり、駅を増設するなどサービスを拡充していたが、資金面でバックアップを受けていた十五銀行が合併してしまうと言った事もあり、最終的に経営の悪化により1938年3月1日に廃線。阿見から荒川沖の区間は実現しなかった。
しかしながら廃線後に航空隊の規模が大きくなるとバスの利用者が激増し、そちらの事業の方は拡大していた。たった一台バスで土浦~阿見間を結び始めたのに対し合併前には20台以上ものバスを所有していた有様で、一年も廃止が遅れていれば戦後まで存続していたとも言われている数奇な路線である。
谷田部線
1923年3月5日に土浦駅前から水海道駅までの地方鉄道免許を取得していたが、1924年には資金難の為に谷田部までに縮小し、同年6月11日に工事施工認可を受けた。
土浦駅前から根崎までの区間が開通すると阿見線の乗り入れ区間として使用された。その後も残りの区間の開業を目指していたが前述の通り経営は悪化。1937年5月4日に根崎から谷田部までの区間の免許が取消処分となってしまった。
谷田部線としてのルートや設置駅の詳細は不明だが、つくば市にある路盤跡とされている小道が電車道と呼ばれていたり、橋の銘版に鉄道橋と記されているなど現在でも面影を感じさせる遺構らしき物が残っている。
ちなみに谷田部には筑波高速度電気鉄道の谷田部駅も設置される予定だったがそちらも実現しなかった。しかし、2005年にはつくばエクスプレスのみどりの駅が開業し、ようやく鉄道路線の利用出来る地域となった。更に、後につくばエクスプレスの県内延伸構想の延伸先に土浦駅が選ばれたため、これが実現した暁には谷田部線が結ぼうとしたルートが形を変えて実現する事となる。
駅一覧
軌間は1067mm。全長は4.6km。動力は直流600V(トロリーポール)。
駅名 | 距離 | 開業 | ■乗り換え路線・備考 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
土浦駅前駅 つちうらえきまえ |
0.0 | 1928年3月22日 | ■常磐線 ■筑波鉄道 |
土浦市 |
桜川駅 さくらがわ |
0.5 | 1926年10月9日 | 開業時の起点。 根崎駅(ねざき-)として開業。 1928~1929年頃に改称。 |
|
小松駅 こまつ |
1.1 | 1926年10月9日 | ||
三夜下駅 さんやした |
不明 | 1932年頃 | 1934年頃に廃止。 | |
変電所前駅 へんでんしょまえ |
不明 | 1930年頃 | 唯一の交換駅。 変電所係員がポイントの取扱いをしていたらしい。 |
|
大岩田駅 おおいわた |
2.7 | 1926年10月9日 | ||
宝泉寺前駅 ほうせんじまえ |
不明 | 1932年頃 | 1934年頃に廃止。 | 阿見町 |
柿ノ木橋駅 かきのき |
不明 | 1928~1929年頃 | ||
青宿駅 あおやど |
3.8 | 1926年10月9日 | ||
阿見駅 あみ |
4.6 | 1926年10月9日 |
車両
廃線後は車両は峡西電気鉄道(山梨交通)へ売却された。また、レールは武蔵中央電気鉄道へ売却されたと言う。
- 1~5
- 1926年10月に蒲田車輛にて製造された電動車。定員は44名。
最大寸法は7,925×2,134×3,653mmで自重は7トン。 - 6・7
- 1~5と同系で同様に開業時に蒲田車輛にて製造された付属客車。
細かい要項は不明。
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