鈴木孝政単語

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鈴木孝政すずたかまさ)とは、 千葉県山武郡出身の元プロ野球選手である。

概要

1954年7月3日生まれ。千葉県山武郡(現:山武市)出身。

成東高等学校に進学。投球フォームをサイドスローからオーバースローに変更し、急成長を遂げる。1年からエースとして活躍、2年の県大会では41イニング失点、2年には13者連続三振記録し、全でも有数の快速投手として名を馳せたものの、甲子園大会には出場できなかった。

1972年ドラフト1位中日ドラゴンズから名され入団。

1年1973年は1試合の登板に留まったものの、翌年1974年途中に一軍昇格を果たすと、リリーフ投手として頭を現しリーグ優勝に貢献。日本シリーズでも2試合に登板している。

1975年星野仙一の後を継ぎ抑えの切り札に定着。規定投球回に初めて到達し21セーブ最多セーブ投手タイトルを獲得。

1976年には32SP(セーブポイント)、防御率2.98で、最優秀救援投手最優秀防御率タイトルを受賞。

1977年には23SPで2年連続最優秀救援投手タイトルを獲得。この年はリリーフながら18勝を挙げ最多勝争いを繰り広げ、1975年から3年連続で規定投球回にも到達している。

だが、1978年途中に右肘を故障し、以降成績が低迷。

1982年リリーフから先発に転向。また、速球中心だった投球スタイルから緩急を駆使する技巧に転身。これが見事にハマる。この年9勝を挙げ、リーグ優勝に貢献。

1984年遠藤一彦最多勝争いを繰り広げ、16勝8敗の成績を残しカムバック賞を受賞。

1988年からは再びリリーフに転向。1989年、現役を引退

引退後は東海テレビ東海ラジオ解説者中日スポーツ評論家として活動した後、古巣中日投手コーチ二軍監督を3度務めた。

現在は再び解説者評論家として活動している。

2015年からは中日OB会会長を努めている。

人物・エピソード

若手時代は快速球を武器で押すパワーピッチャーとして、故障後はストレートに緩急をつけ打たせとる技巧に転身し復活した。

技巧の投球スタイルは当時投手コーチであった権藤博とともに模索したもので、直球に緩急をつけ打者のタイミングを外すことを提案され、習得したものである。

現役時代付け続けた背番号29は、実家屋を営んでいることに由来している。ちなみに現在族によって経営されている、

成績

通算投手成績

通算:17年 登板 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率 WHIP
NPB 586 29 4 124 94 96 --- .569 1788.1 364 1006 769 693 3.49 1.19

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