テスコボーイ(Tesco Boy)とは、1963年生まれの英国産の競走馬。黒鹿毛の牡馬。
種牡馬として日本競馬に卓越したスピードをもたらした、日本競馬史にその名を残す大種牡馬である。
名前は本馬の馬主であるジャック・コーエンが創業したスーパーマーケットチェーン「Tesco(テスコ)」に由来し、テスコは現在英国最大、世界でも五指に入る流通企業となっている(なお日本進出には失敗した)。
通算成績11戦5勝[5-2-3-1]
生い立ち、競走馬時代
父Princely Gift、母Suncourt、母父Hyperionという血統。
父のPrincely Gift(プリンスリーギフト)は現役時代英国の短距離路線で活躍し、種牡馬入り後は2歳戦や短距離路線で活躍馬を多く出した。
母のSuncourt(サンコート)は現役時代3戦1勝。母父のHyperion(ハイペリオン)は1933年の英国二冠馬で、種牡馬としてOwen TudorやAureole、Sun Chariotなどを輩出し一大系統の祖となった。
母の半妹の子に独国で6回リーディングサイアーになったSurumuがおり、曾祖母Juryから広がる牝系には日本ではラブリーデイ、レインボーライン、リバーセキトバなどがいる。
英国で競走馬入りしたテスコボーイは3歳の4月にデビューし、3戦2勝でロイヤルアスコットのクイーンアンS(3歳以上のマイル戦)に挑戦し2着に入るが、ここで1着入線のBallycipticが失格となり、テスコボーイが繰り上がって勝利した。
その後クイーンエリザベスII世S3着、英チャンピオンS3着などの戦績を残して引退。
通算成績は11戦5勝。勝った5勝は全てマイル戦であった。
お助けボーイ
競走馬引退後アイルランドで種牡馬入りし、翌年に日高軽種馬農業協同組合に購買され来日、同年より組合の門別種牡馬場で供用された。
すると初年度からサラ系の皐月賞馬ランドプリンス、翌年に二冠馬キタノカチドキ、更に翌年には二冠牝馬テスコガビー、更に更に翌年には「天馬」ことトウショウボーイ、他にもサクラユタカオーやらハギノカムイオーやらホクトボーイやら……と活躍馬を量産。
資料や集計方法にもよるが最低2回、最大5回リーディングサイアーを獲得した。
テスコボーイの種牡馬としての最大の功績は、日本競馬に70年代半ばまで希薄だった「スピード」を齎した事である。
例えば上に挙げた産駒達の活躍振りを列挙すると
- トウショウボーイ - 1600m, 2000m, 2500mで当時の日本レコードを出す
- テスコガビー - 桜花賞をレースレコードで大差逃げ勝ち
- サクラユタカオー - 毎日王冠、天皇賞(秋)を日本レコードで勝利
- ハギノカムイオー - 宝塚記念を日本レコードで勝利
といった感じ。テスコボーイ産駒の活躍がグレード制導入に前後した短~中距離路線の拡充に影響を及ぼした事は間違いないだろう。
因みに、「テスコボーイの栗毛は走らない」というジンクスがあった。栗毛の活躍馬が中々出なかった為だと言われているが、サクラユタカオーの登場により消滅した。そのサクラユタカオーも生産者から「栗毛じゃなければ」と嘆かれたエピソードがある。
母の父としてもアイネスフウジンとバンブーアトラスといったダービー馬から、ネーハイシーザー、トロットサンダー、ダイタクヤマトなどのスピード自慢を輩出している。
日高軽種馬農業協同組合では組合員から種付け申し込みを募り、頭数が多いと抽選で種付けの権利を与えていた。この種付け料が安価であり、種付けの権利が手に入って仔馬が生まれてくれれば高く売れる。こういった事情から産駒のトウショウボーイ共々「お助けボーイ」と呼ばれていた。
因みにアイルランドで1年供用されていた時に残した産駒から、英1000ギニー2着馬Super Honeyなど重賞馬が複数出ており、後に買い戻しのオファーが舞い込んだとも言われている。
一方日本側はテスコボーイの活躍に気を良くし、Princely Giftの子や孫を種牡馬としてゴッソリ輸入。*ファバージ、*バーバー、*トライバルチーフ、*ボイズィーボーイ、*ラインゴールド、*ゲイルーサック……などなど。ただしいずれも活躍馬はそこそこ出したが、いずれもテスコボーイの種牡馬成績には遠く及ばずに廃絶した。特に*ラインゴールドは欧州での競争及び種牡馬実績からかなり期待されたが、日本では僅かに地方重賞馬を出した程度で期待には遠く及ばずに終わっている。
後継種牡馬としてトウショウボーイ、サクラユタカオーが種牡馬として成功を収め、前者はミスターシービーなど、後者はサクラバクシンオーやエアジハードを出し、更にサクラバクシンオーがショウナンカンプ、グランプリボス、ビッグアーサーと3頭のGI馬を、エアジハードもショウワモダンを輩出した。
ただしトウショウボーイの後継種牡馬はあまり成功せずに廃絶、サクラユタカオーも孫種牡馬が不振で風前の灯火である。テスコボーイより少し早い時期に活躍したライバル種牡馬(*ネヴァービート、*パーソロン、*チャイナロック…etc.)よりはスピードがあったために長く生き残ることが出来、*ノーザンテーストの独走時代にノーザンダンサー系が席巻した時も棲み分けが出来ていたことから地位を守ったものの、日本のサラブレッド界に激震を走らせ、後継種牡馬も圧倒的な成功を収めた*サンデーサイレンスに太刀打ちできなかったという意味では他のライバル種牡馬と奇しくも同じ運命を辿ったといえる。
テスコボーイは1987年に24歳でこの世を去った。種牡馬としての功績を讃え、現在では新ひだか町の桜舞馬公園に銅像が立てられている。
血統表
Princely Gift 1951 鹿毛 |
Nasrullah 1940 鹿毛 |
Nearco | Pharos |
Nogara | |||
Mumtaz Begum | Blenheim | ||
Mumtaz Mahal | |||
Blue Gem 1943 鹿毛 |
Blue Peter | Fairway | |
Fancy Free | |||
Sparkle | Blandford | ||
Gleam | |||
Suncourt 1952 黒鹿毛 FNo.19 |
Hyperion 1930 栗毛 |
Gainsborough | Bayardo |
Rosedrop | |||
Selene | Chaucer | ||
Serenissima | |||
Inquisition 1936 黒鹿毛 |
Dastur | Solario | |
Friar's Daughter | |||
Jury | Hurry On | ||
Trustful |
クロス:Gainsborough 3×5(15.63%)、Blandford 4×5(9.38%)、Pharos=Fairway 4×4(12.50%)
主な産駒
- ランドプリンス(1969年産 牡 母ニユウパワー 母父*ヒンドスタン)
- キタノカチドキ(1971年産 牡 母ライトフレーム 母父*ライジングフレーム)
- テスコガビー(1972年産 牝 母キタノリュウ 母父*モンタヴァル)
- ライジン(1972年産 牡 母モリノサワ 母父*ゲイタイム)
- トウショウボーイ(1973年産 牡 母*ソシアルバターフライ 母父Your Host)
- ホクトボーイ(1973年産 牡 母*フィリバスター 母父Busted)
- インターグシケン(1975年産 牡 母キョウエイパンセ 母父ウィルディール)
- オヤマテスコ(1975年産 牝 母トサハヤテ 母父トサミドリ)
- ホースメンテスコ(1976年産 牝 母エーバンブ 母父*インディアナ)
- リンドタイヨー(1977年産 牡 母ガレイ 母父*オーロイ)
- アグネステスコ(1978年産 牝 母*ハンサムエタ 母父Grey Ghost)
- ハギノカムイオー(1979年産 牡 母イットー 母父*ヴェンチア)
- サクラユタカオー(1982年産 牡 母アンジェリカ 母父*ネヴァービート)
関連動画
関連項目
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 1
- 0pt