ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ(1736-1813)は数学、物理、天文学者である。宇宙、SF好きなら一度は「ラグランジュ点」という言葉を聞いた事があるのではないだろうか。
一般にはフランスの学者とされることが多いが、生まれはサルデーニャ王国のトリノなので現在の版図だとイタリア出身である。10年以上ベルリンに赴任した時期もあり、パリで暮らしたのは50を過ぎてからの話になる。ただ父方の先祖がフランス人なのだそうで、全くの無関係でもないらしい。とりあえずイタリア名が「ジュゼッペ=ルイージ・ラグランシア」だと覚えておけば明日クラスで自慢できると思うさ。緑色とか言うなッ。
概要
18世紀数学者の中ではオイラーに次ぐ実力No.2と目されている。オイラーの後継者といえばまずはラグランジュなのだが、アプローチはわりと対照的で、自由奔放なオイラーに対してラグランジュは緻密な戦略家。システマチックな解法を得意とした。
ポテンシャルの考え方はラグランジュに始まるとされており、線形代数や群論もプロトタイプはラグランジュ辺りから、と地味に先駆的な業績を残している。高校の微分で出てくる、関数に「’(プライム)」つけるアレ(f′(x))もラグランジュの記法である。
ただ、地味さが災いしてか40代半ばで早くも研究が嫌になってしまい、以後は後進の指導やサロンでの学問談義で過ごす時間が多かったらしい。「金持ちだったら数学なんてやらなかった」とまで言っているが、「メートル法の制定」で活躍したり、名講義が人気を博したりで晩節を汚すようなことはなかった。19世紀はラグランジュで開眼した学者がたくさんおり、後世への貢献度ではオイラーに引けを取らないレベルといえるだろう。とりあえずもっと評価されるべき。
理知的で物静かなダンディであり、生涯多くの人に愛された。77歳で安らかに眠る。
「死ぬのは最後の一仕事だ。つらい事でも不愉快な事でもないよ」
特別付録:ラグランジュに学ぶモテ理系の極意
ラグランジュはとにかくどこでも人に好かれた。目立つのが嫌いで手柄を余り主張しなかったのが周りと上手くやれたコツかも知れない。なんでも仕事の名義を他人に譲ったりもしてたんだとか。つまりアレだ、リンゴ・スター的な。
- 30歳でベルリンに招聘。フリードリヒ大王に気に入られて愛される
- 51歳でパリに招聘。マリー・アントワネットに気に入られて愛される
- 三年後にフランス革命勃発!知人のルモニエの所へ身を隠すが、今度はそこの娘に愛される。後に結婚。ラグランジュ56歳で、30歳年下の再婚相手である。
- なんとあの革命政府でも結局重用され、度量衡制度改革委員長を最後までやり通した。学者仲間はみんなひどい目に遭ったのに……
- 62歳の時にナポレオンが独裁開始。やっぱり気に入られて愛される。
もっと悪い奥さんを貰っていれば悲しませずに済んだんだよ。今はその事だけが心残りだ。
理系はモテないとよく言われるが、それは理系のせいではない。さあ、胸に手を当てて考えるんだ。冷静にな!
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関連項目
- 数学
- レオンハルト・オイラー (ベルリン時代の前任でもある)
- ジョゼフ・フーリエ (直接の教え子)
- ニールス・アーベル
- エヴァリスト・ガロア
- ウィリアム・ローワン・ハミルトン
- フリードリヒ2世
- マリー・アントワネット
- フランス革命
- ナポレオン・ボナパルト
- 一級フラグ建築士
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