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チェズレイ・サレンバーガー3世(Chesley Burnett "Sully" Sullenberger III)とは、アメリカ合衆国の元パイロット。愛称は「サリー」。
「ハドソン川の奇跡」ことUSエアウェイズ1549便不時着水事故の機長として知られる。
概要
1951年1月23日、テキサス州にて歯科医の父(元米軍歯科軍医、退役時は中佐)と専業主婦の母(後に小学校教師)の間に生まれる。
実家の近くに空軍基地があったことで幼い頃から飛行機に憧れ、17歳で自家用操縦士免許を取得。高校卒業後、空軍士官学校に進み、卒業時には最優秀飛行技量士官候補生(要するに主席)に選ばれた。そのままアメリカ空軍に入隊し、F-4ファントムⅡのパイロットとなる。実戦で出撃する機会はなく、1980年に29歳で退役。退役時の階級は大尉だった。
退役後、パシフィック・サウスウエスト航空(PSA)にパイロットとして入社。航空機関士を3年半、副操縦士を4年半務め、1988年にPSAの機長となる。その後、PSAがUSエアー、ピードモント航空と合併し「USエアウェイズ」となったため、そのままUSエアウェイズの機長となった。機長として飛び続ける傍ら、定期航空操縦士協会(ALPA)の安全委員会メンバーとして、1987年のパシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故[1]や、1991年のロサンゼルス国際空港地上衝突事故[2]の事故調査に参加している。
そして2009年1月15日、サレンバーガーはニューヨークのラガーディア空港からシャーロットを経由してシアトルに向かうUSエアウェイズ1549便に機長として乗務。離陸直後にバードストライクで両エンジンが停止し滑空状態になった機体を、ジェフリー・スカイルズ副操縦士との巧みな連携と迅速な判断、的確な操縦でハドソン川に無事に不時着水させることに成功し、乗員乗客155名を全員生還させた。この生還劇は「ハドソン川の奇跡」として世界中に報道され、一躍時の人となる。2016年には映画化され、サレンバーガー機長はトム・ハンクスが演じた。詳しくは「ハドソン川の奇跡」の項目も参照。
155人を救った英雄として讃えられたが、本人は自分が「英雄」と呼ばれることに対しては否定的で、
英雄とは命懸けで燃え盛るビルに飛び込んでいくような人物のことだ。1549便はそうではなく、あくまで私とクルーに向こうのほうから降りかかってきた出来事だ。私たちは全力を尽くし、訓練の成果を発揮し、正しい決断を下し、決してあきらめず、搭乗者全員の命を尊重し、そして結果は悪くなかった。これが〝英雄的〟に該当するとは思わない。
とのこと。また機長の自分だけでなく、スカイルズ副操縦士や3人の客室乗務員のことも同様に讃えて欲しいと言い、バラク・オバマ大統領の就任式に招待された際にも大統領に直接そう訴えて、事故機のクルーとその家族全員を招待してもらったとか。
事故後はPTSDに悩まされたものの、同年10月にパイロットに復帰、復帰フライトでは事故と同じ路線でスカイルズ副操縦士とともに今度は飛行を完遂した。その後、2010年3月にパイロットを引退。2007年に副業として航空安全コンサルタント会社「SRM―safety reliability methods, inc」を設立しており、引退後は講演活動やテレビの航空関連のコメンテーターなどをしている模様。
私生活では妻と2人の娘がいる。妻は元PSAの営業スタッフで、1986年に航空管制50周年記念式典で出会い、1989年に結婚した。2人の娘はともに養子。サレンバーガーは私生活でも非常に几帳面なようで、妻いわく「サリー、人生はチェックリストじゃないのよ」。
1549便不時着水事故で見せた有能ぶり一覧
- エンジン出力喪失から6秒で即座にAPU(補助動力装置)を起動。QRH(クイック・リファレンス・ハンドブック)では優先順位が低い手順だったが、真っ先にこれを行ったおかげで不時着まで電力を完全に失うことなく計器を使用できた。[4]
- バードストライク発生から僅か13秒で副操縦士から操縦を引き継ぎ、副操縦士にQRHの確認を指示。緊急事態ではより責任の大きい機長が操縦するという原則に従う行動の迅速さに加え、スカイルズ副操縦士はエアバスA320の訓練を終えたばかりで、QRHの当該ページを見つけるのは訓練を終えたばかりの副操縦士の方が素早くできるだろうという的確な判断に基づく。
- バードストライク発生から55秒、エンジン再点火の作業中に必要な対気速度が出ていないことを確認し、即座に不時着に意識を切り替えた。ハドソン川への着水を検討していることを最初に口に出したのはこの5秒後だが、本人によるとバードストライクが起きた瞬間からハドソン川に降りるしかないかもしれないと直感的に考えていたとのこと。
- バードストライク発生から1分半、この段階でラガーディアに戻る場合のリスクを頭の中で検討し、ハドソン川への不時着水をほぼ決断。副操縦士にはエンジンの再始動に専念させて操縦しながら交信も受け持ち、管制官の提案にも全て「無理だ」「どこにも降りられない」と即答で時間の浪費を避ける(乗客数や残燃料など余計な確認をしなかった管制官も有能だったとは本人の弁)。テターボロ空港に降りられるかもしれないと20秒ほど考えたが、窓の外の景色を見てその考えを捨ててハドソン川への着水一本に意識を切り替えた。
- 着水直前、フラップを最大まで展開せず、2段階までの展開に留めた。フラップを最大まで展開すると抗力が高まり、失速してより高い降下率で(つまり勢い良く)着水してしまう可能性があり、フラップを2に留めることで失速を回避しつつ最小限の衝撃で着水するためのギリギリの調整に成功した。空軍時代とA320の機長としての経験に基づいての判断だったとのこと。
- 不時着水の20秒前、副操縦士に「他に方法は?」と確認。副操縦士は「ありません」と回答。最後まで副操縦士との間に適切な連携を保ち続けた。
- かくしてバードストライク発生から不時着水までの約3分30秒の間、機体を完璧に制御し理想的な不時着水に成功。本人曰く、着水時の機体姿勢や速度はほぼ狙い通りだったとのこと。この技術はNTSBも絶賛。
- 着水後、機体に乗客が残っていないかギリギリまで確認して最後に脱出し、救助時も最後まで救命ラフトに残っていた。「海の掟の伝説は承知しているが、私が残ったのはそれが理由ではない。私の責任下にある乗客より先に救助されたりできないのが当たり前と思っただけだ」(前掲書P277)
- 後にNTSBによる検証で、ラガーディア空港に戻ることはバードストライク発生直後に引き返せば物理的には不可能ではなかったものの、エンジン再始動の試みと意志決定に要する時間を考慮するとその判断は非現実的であり、ハドソン川への不時着水は最善の判断だったと認められた。
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関連項目
脚注
- *USエアーの従業員が、売り上げの着服で解雇されたのを逆恨みして上司を機内で射殺、パイロットも射殺して機体を急降下させ乗客もろとも自殺した事件。『メーデー!:航空機事故の真実と真相』ではシーズン9の第11話。
- *管制官のミスで、着陸したUSエアー1493便が滑走路にいたスカイウェスト航空5569便に衝突した事故。『メーデー!:航空機事故の真実と真相』ではシーズン7の第4話。
- *国際定期航空操縦士協会連合会(IFALPA)から、優れた飛行技術や英雄的行為を見せた民間航空機のクルーに贈られる賞。メーデー民的におなじみのところでは、外れたプロペラに切り裂かれて操縦困難になった機体を筋肉式操縦で無事着陸させたリーブ・アリューシャン航空8便のクルー、油圧を全喪失した機体を必死に制御して乗客の6割を救ったユナイテッド航空232便のクルー、機長が窓の外に吸い出されたブリティッシュ・エアウェイズ5390便のアラステア・アチソン副操縦士、エンジンが爆発しシステムが膨大なエラーを吐き出す機体を無事着陸させたカンタス航空32便のクルーなどが受賞している。日本人では、日本航空123便のクルーと、全日空61便のクルーが受賞している。
- *ちなみに本事故の7年前に、ガルーダ・インドネシア航空421便不時着事故(嵐で両エンジンを喪失したB737がソロ川に不時着した事故)にて、先にエンジンの再始動を2回試してからAPUを起動しようとしたが、バッテリーは破損して電圧が下がっていたため、起動前にバッテリーが切れてしまいAPUを使えなかった、という事例がある。
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