フリントロック式とは、17世紀に開発された銃の点火方式の名称である。
概要
当時、それまでのマスケット銃などの火器は、マッチロック式(火縄銃など)やホイールロック式などの点火方式により、火薬へ着火し射撃していた。これらの着火方式は基本的な部分ではフリントロック式と相違は大きくなく、マッチロック式との違いは火花を散らす資源がそれぞれ異なり、ホイールロック式とは機構が異なる以外は違いは無かった。
構造
1:当たり金は垂直に構え、点火薬の入った空間の蓋(=火蓋)の役目も担う。燧石側はこの時点では当たり金に密着する形で待機している(この状態から撃鉄を引くように起こして初めて機能するので、この状態はいわばセーフティーロック)
2:燧石が付いた撃鉄を手前に起こし、引き金を引くと燧石が備わった機構が当たり金めがけて突っ込む。この衝撃で当たり金は(射手から見て)のけぞるように奥側へと倒れこむ(同時に点火薬がオープンになり、火花による着火が行われる)
3:点火薬が銃弾を押し出すガンパウダーに引火して、めでたく弾丸がとりあえず前方に飛んでいく
まず火打石に対する誤解として、石と石が衝突により火花の発生させるという物がある。火打石の火花は、石と鉄が衝突することにより発生した高温の超極小鉄片である。フリントロック式はこの原理が用いられている。
尚、この構造を実現するためには、良質な燧石の存在が欠かせなかったのだが、日本においては国産の燧石の品質が悪く、併せてそもそも新しい点火方式を必要とするような不安定な時代ではなくなったことから、日本では一般化しなかった(そのまま引き続き火縄銃が現役として使われ、幕末になって洋式小銃の輸入より実践に投入された)。
利点
前述の通り、フリントロック式には先行した点火方式としてマッチロック式とホイールロック式があった。しかしそれらの点火方式にはそれぞれデメリットがあった。まずマッチロック式は単純ではあるものの、湿気に弱く、火種は光源となり敵に露見する危険性もあった。おまけにその火種が引火の原因にもなることから、密集した陣形が取りにくいという欠点もあった。そのため、撃鉄が振り下ろされるその瞬間まで火種が現れないフリントロック式は、新しい点火方式であった。さらには同じく燧石を利用した点火方式を有していたホイールロック式に対しては、ホイールロック式が歯車で機構を構成していたために、高価な上に信頼性が良好ではなかった。よって共通の点火方式を採用してはいたが、簡易的な構造であったフリントロック式がその後一般化していくこととなる(フリントロック式は後に大英帝国の正式採用歩兵銃になるが、ホイールロック式は専ら騎兵用だった)。
欠点
まず燧石を利用して点火する構造上、燧石と当たり金(鉄板)の調整が必要とした。これは、射撃の度に変形が進み、良好な状態を維持するために必要とした。そしてその燧石は火花だけではなく、衝撃も生み出すことになり、これは命中精度にも悪い影響を及ぼした(ただでさえ破滅的な命中精度であるにもかかわらず)。これらのことから黎明期のフリントロック小銃は、口径が小さめであったようである。
問題はこれだけではなかった。大きく2つの問題点があるが、ひとつは火花が綺麗に点火薬引火せずに起きる不発と、マッチロック時代には独立して存在していた火蓋がフリントロック式にはないことである。特に後者は暴発のリスクが伴った。
これらのことによりマッチロック式やホイールロック式のすべてが、フリントロック式に置き換わることはなかった。
フリントロック式のその後
万能ではなかったが優れた点火方式だったフリントロック式は、その後に世界の覇者となった大英帝国の、初代正式歩兵銃ブラウン・ベスに採用された。そして100年後にはライフルが登場し、フリントロック式誕生から約200年ほど後にパーカッションロックが登場する。フリントロック式が抱えていた不発を克服することになるこのパーカッションロックが、後の点火方式の主力なっていくのは明白であった(現在の点火方式は本質的にはパーカッションロック)。
パーカッションロックが登場するに至り、前装式銃はその絶頂を極めることとなった。
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関連項目
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