ホスピタリテイとは、1979年生まれの日本の元競走馬・元種牡馬であり、「ハイセイコーの再来」あるいは「オグリキャップになりそこねた怪物」である。
馬名は「ホスピタリティ」ではなく「ホスピタリテイ」なので注意が必要。
主な勝ち鞍
1981年:青雲賞
1982年:京浜盃、黒潮盃、羽田盃、セントライト記念
※馬齢表記は当時のものに合わせて旧表記で記載しています。
新・地方の怪物
父テュデナムはイギリスのGI・ミドルパークステークスを勝っているとはいえ通算戦績18戦1勝という地味な輸入種牡馬、さらに母系も地味と、血統的にはほとんど見るべきところがない馬である。
そんな血統背景もあってホスピタリテイは中央競馬ではなく、ハイセイコーが去って以降中央競馬とのレベル差が開く一方だった大井競馬場で走ることとなる。
ところが、そんな期待値の低さとは裏腹にホスピタリテイはデビュー戦から圧勝を続けた。
デビュー戦で10馬身差をつけたのを皮切りに、大井の3歳チャンピオン決定戦・青雲賞まで5連勝。ここまでの合計着差が31馬身差で、こんなの見せられたらファンが期待しないわけがない。
そう、9年前のハイセイコーのように、ホスピタリテイが中央競馬のエリートたちをなぎ倒すという夢である。
とはいえハイセイコーと違って最初から中央入りを計算されていたわけではないホスピタリテイは、 翌年春も大井競馬場で走る。
「ハイセイコーの再来? いやいやホスピタリテイなんて早熟の逃げ馬だろw」なんてひねくれた声もあったにはあったが、始動戦の京浜盃を快勝すると、早熟の心配なんてどこ吹く風。
デビュー戦から数えて怒涛の8連勝で一気に羽田盃(中央競馬における皐月賞)も奪取してしまった。
もう大井に敵なんていないというところを示したホスピタリテイは、南関東二冠(羽田盃・東京ダービー)を手土産に中央移籍というプランを発表。
東京ダービーは故障で出生を回避することになってしまったが、それでも1982年の夏、ホスピタリテイは8戦8勝という圧倒的な戦績を引っさげ、中央競馬に殴り込みをかけることになった。
ハイセイコーの再来
ホスピタリテイが中央初戦に選んだのは、菊花賞トライアル・セントライト記念だった。
だが、「無敗の8連勝」「ハイセイコーの再来」という看板があったにせよ、ハイセイコーの現役時代を知らないファンも増え始め、地方競馬は低レベルという認識が常識となり始めた頃だったこともあって、ホスピタリテイは皐月賞馬アズマハンターに人気を譲る2番人気に甘んじた。
だが、ホスピタリテイはそんな中央競馬ファンの評価の低さをせせら笑うようにアズマハンターを一蹴。しかも、4コーナーで一旦並びかかったアズマハンターを再度突き放し、逆に3馬身差をつけてしまうという非常に強い勝ち方である。
「おいおいハイセイコーどころかマルゼンスキーか」と言わんばかりのレースぶりで、もはや菊花賞はもらったかと思われたが、残念ながらクラシック登録の無かったホスピタリテイには菊花賞の出走権が無く、後のオグリキャップと同じように古馬との対決へ向かうことになった。
しかし古馬戦線とは言ってもオグリの頃と違って当時の天皇賞は古馬専用レースであり、4歳のホスピタリテイには出走権がない。
そこで陣営が目をつけたのが、前年に創設されたばかりのジャパンカップである。 ホスピタリテイはそこを目標に、まずステップレースで外国馬も出走してくる富士ステークスに出走した。
だが、前年のジャパンカップで日本馬は外国勢に対し惨敗しており、富士ステークスにはその前年のジャパンカップで2着に入ったフロストキングらジャパンカップを見据えた外国馬が出てくる。
いくら無敗のホスピタリテイとはいえ惨敗してもおかしくないと思われたこのレースだったが、ホスピタリテイはまたもや不安を吹き飛ばす走りを見せた。
フロストキングにこそ差されたものの、4歳、それも地方出身馬でありながら外国馬を相手に2着と奮闘したのである。
続くジャパンカップ、そして有馬記念や翌年以降の活躍も期待されたが、しかし、ホスピタリテイの快進撃はここまでだった。
脚部不安でジャパンカップを回避すると、約1年の長期休養へ。1年ぶりのレースとなるオープン戦を快勝するも、今度こそジャパンカップへと調整されていた矢先に再度故障発生。
このレースを最後に引退することとなった。
ハイセイコーとオグリキャップの間の時代で
通算成績11戦10勝、負けた相手はカナダのフロストキングだけであり、「日本馬に対して無敗」という底の見えなさから、中央では重賞1勝しかしていない馬であるホスピタリテイを「地方出身の最強馬」に名前を挙げる人も少なくない。
だが、「地方出身のマイナー血統」「クラシック登録がなかったためにクラシックレースに出られなかった」という後のオグリキャップと似た境遇にいながら、度重なる故障によってホスピタリテイはスターになることが出来なかった。
このためか、ほぼ完璧な戦績でありながら、ホウヨウボーイ、アンバーシャダイ、モンテプリンスらが活躍していたこの時代の活躍馬としてホスピタリテイの名前が挙がることは少なく、「成績はすごいけどなんだかよくわからないミステリーな馬」 という印象を受ける人も多いだろう。
菊花賞に出走資格があれば、天皇賞に出走資格があれば、と競馬にたらればは禁物とは言え、口にせざるを得ない数少ない1頭である。
種牡馬としては父テュデナムが事件を起こしたことで有名なサルノキングやテュデナムキングらを出して活躍していたこととホスピタリテイ自身の「底の知れなさ」がウケたのか内国産馬不遇の時代にありながら人気を集め、ホスピタリテイと同じ地方出身で皐月賞馬のドクタースパート、4歳牝馬特別(東)やシンザン記念を勝ったファンドリポポらを輩出。
長らく中堅種牡馬としての活躍していた(初期のダビスタにも出てくるのでそこでホスピタリテイを知った人もいるからもしれない)
血統表
*テュデナム Tudenham 1970 黒鹿毛 |
Tuder Melody 1956 黒鹿毛 |
Tudor Minstrel | Owen Tudor |
Sansonnet | |||
Matelda | Dante | ||
Fairly Hot | |||
Heath Rose 1964 鹿毛 |
Hugh Lupus | Djebel | |
Sakountala | |||
Cherished | Chanteur | ||
Netherton Maid | |||
トウコウポポ 1969 鹿毛 FNo.2-b |
*アイアンリージ 1954 黒鹿毛 |
Bull Lea | Bull Dog |
Rose Leaves | |||
Iron Maiden | War Admiral | ||
Betty Derr | |||
フジチヨ 1964 黒鹿毛 |
*スコツト | Souverain | |
Dissenter | |||
フヂチヨ | トシシロ | ||
エルジン | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Lady Joror 5×5(6.25%)、Nearco 5×5(6.25%)
- 父テュデナムは1972年ミドルパークS優勝馬でイギリスで18戦1勝。産駒には他にサルノキング(弥生賞)、テュデナムキング(中山記念)、キョウエイボーガン(神戸新聞杯)など。
- 母トウコウポポは中央で11戦2勝の条件馬。
- 母父アイアンリージはボールドルーラー・ギャラントマン・ラウンドテーブルなどが揃うアメリカ黄金世代のケンタッキーダービー馬で33戦11勝。
主な産駒
- アイビートウコウ (1985年産 牡 母 トウコウアドロ 母父 *ボールドリック)
- ドクタースパート (1986年産 牡 母 ドクターノーブル 母父 タケシバオー)
- ファンドリポポ (1986年産 牝 母 ファンドリパール 母父 *ノーザンネイティヴ)
- アミサイクロン (1990年産 牡 母 ネアルダンサー 母父 *オフィスダンサー)
- アブクマレディー (1993年産 牝 母 アキノレディー 母父 *スティンティノ)
- サンライフテイオー (1993年産 牡 母 *ティーヴイミニカム 母父 Dickens Hill)
- シャコーテスコ (1994年産 牡 母 テスコアイビー 母父 *テスコボーイ)
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
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