中国残留日本人とは、太平洋戦争末期の混乱で帰国できなかった日本人のことである。中国残留孤児。中国残留邦人。
概要
戦前から戦中にかけて、日本から当時の満州国や中国には多数の移民が移住していた。
太平洋戦争末期、ソ連軍が日ソ中立条約を破って突然侵攻してきた。1945年6月の時点で関東軍は満州国境のソ連軍の軍備が猛烈に強化されていることからソ連が攻めてくることを察しており、1945年8月9日未明にソ連軍157万人の大軍が満州国の国境を越えて進撃してくると関東軍の国境守備隊はわずか数時間で壊滅、それを知った高級軍人は前線を見捨てて真っ先に南に逃亡してしまい関東軍の統制は崩壊。
当時は満州国軍という満州国独自の軍隊がいたが、これは満州国を実質的に支配していた関東軍の下部組織のような軍隊で、満州人、中国人、朝鮮人などで編成されていたが、関東軍の支配下のうえに満州開拓移民の横暴によって現地人は土地を奪われた背景があることから士気が低く、ソ連軍がやってくると関東軍の出動命令を拒否して指揮官の日本人将兵を次々と殺し始めて反乱が発生してたちまち崩壊してしまう。
こうして関東軍は本来守備するはずの満州開拓移民らを見捨てて鉄道に乗って一目散に逃げてしまったため、ソ連が攻めてきたことも知らない満州開拓移民は丸裸の状態で取り残されてしまい、戦時中は日本の横暴で開拓移民に土地や財産を奪われたり、過酷な鉱山労働を強いられたりと蹂躙されてきた満州人、中国人、朝鮮人がこれに襲い掛かった。
ソ連軍のすさまじい勢いでの進撃と各地での現地人の反乱によって満州開拓移民や満州に赴任した日本の民間人らは必死で南の朝鮮半島へと逃げたが逃げ遅れてしまう人も多く、ソ連軍の容赦ない攻撃にさらされて殺されるなか、逃げ遅れた子供に限っては現地の中国人や満州人によって助け出されて命を繋いだ例も少なくなくなかった。そして中国人たちによって助けられた子供は次第に家族の一員となって育てられ、中国人と結婚して所帯を持ったり子供をもうけたりと中国人として戦後を生き続けていた。
そんな人たちを中国残留日本人や中国残留孤児といい、現在は2万人以上が帰国できている。
彼らは幼少期から日本を離れて満州国にやってきたため日本にいたころの記憶がほとんどなく、僅かに残っていた本人の思い出の品や満州国政府で管理されていた戸籍などの資料、ソ連参戦時に運よく朝鮮半島に逃げ切れた開拓移民の記憶などを頼りに移民であることを証明されて、戦後30年の歳月を超えて日本の土を踏んだことになる。
しかし日本の記憶はほとんどないうえに幼少から青年、中年に至るまで中国人の家族として育ったために中国人の文化や慣習が深く浸透していることから日本にやってきて言語の壁やカルチャーショックを受けながらの生活で、日本に馴染むことに苦労しないように公的機関や民間の支援を受けて生活している。
一方では中国人として中国で育ったために戦時中に日本が中国で行ったことも教えられていることから日本に対してあまり良い感情を持っていない中国残留孤児も少なくなく、中国で所帯を持って家族と暮らしている人のなかには家族を置いて行けず、自分が中国残留孤児の日本人でも日本に帰ることを諦めて中国人として生きていく道を選んだ人も多い。
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