- プロ野球選手一覧 > 久古健太郎
久古健太郎(きゅうこ けんたろう、1986年5月16日-)とは、東京都豊島区出身の元プロ野球選手(投手)である。
概要
OB | |
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久古健太郎 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都豊島区 |
生年月日 | 1986年5月16日 |
身長 体重 |
181cm 82kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2010年ドラフト5位 |
引退 | 2018年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
ストレートの最速は140km/h台前半ながら、サイドハンド気味のフォームからスライダー、チェンジアップ、カーブ、沈むシュートなどを駆使して打者を打ち取る。奪三振率もわりと高い。
プロ入り前
国士舘高校時代は2年次に春の選抜大会に出場したことがあった。
高校卒業後は青山学院大学に進学し、13試合の登板で3勝を挙げた。
大学卒業後は日産自動車に就職したが、1年で野球部が休部になってしまい、日本製紙石巻へ移籍。移籍先ではエースとなり、チームを初の都市対抗野球出場に導いた。
2010年のドラフト会議で、東京ヤクルトスワローズに5位で指名され入団。
ヤクルト時代
2011年は左のリリーフ不在のチーム事情から開幕一軍入りを果たす。4月24日の広島東洋カープ戦で1回1/3を抑えたところに畠山和洋の逆転弾が舞い込み初登板初勝利。ウィニングボールは「(東日本大震災で被災した)石巻に送りたい」と語った。以降、貴重な左腕リリーフとしてワンポイントやセットアッパーとして起用されると、謎の勝ち運を発揮して白星を重ね、球団タイ記録となるプロ入りからの4連勝をマーク。7月10日の阪神タイガース戦から9月10日の阪神戦にかけて、22試合連続無失点を達成し岩瀬仁紀(中日ドラゴンズ)の持っていたセ・リーグ新人記録を更新した。しかしシーズン終盤に肺炎で戦線離脱。離脱前後には打ち込まれ、9月半ばの時点で1点台だった防御率は最終的に3.65まで悪化したが、5勝2敗20ホールド1セーブを挙げ、チームに大きく貢献した。
2012年は前年の血行障害の手術の影響などで出遅れ、二軍でも満足のいく成績を残せず、9試合の登板で防御率5.63に終わった。
2013年は開幕一軍入りしたものの開幕当初は不調で、前半戦は一軍と二軍の往復が続いた。8月以降は26試合に投げて僅か2失点と復調し、手薄な投手陣の中で7連投をこなすなど奮闘。最終的に38試合で2勝1敗9ホールド、防御率2.76の成績を残した。
2014年も開幕一軍入り。5月3日の阪神戦で1点ビハインドの8回表2死1塁の場面から登板、4球投げたところで走者の大和が盗塁失敗でチェンジとなり、その裏に代打を出され降板、その攻撃でチームが逆転し勝利したため、対戦打者0で勝利投手というプロ野球史上2人目(セ・リーグでは史上初)の珍記録をマークした。この年は46試合に登板したが、防御率5.61と安定感を欠いた。
2015年は前半戦はあまり目立たなかったが、後半戦からは対左のワンポイント・セットアッパーに定着。38試合で8ホールドだったが、防御率2.55、対左の被打率.207と要所を締め、秋吉亮、ローガン・オンドルセクとともにリリーフを支えて優勝に貢献。クライマックスシリーズでは3試合に登板し打者8人をパーフェクトに抑える活躍を見せた。
2017年は6試合に留まった。
2018年は一軍での登板がなく、戦力外通告を受けた。12球団合同トライアウトに参加するも獲得球団はなく、そのまま引退となった。
引退後
2019年からデロイト トーマツ コンサルティングに就職、サラリーマンとして働いている。
成績
通算投手成績
年度 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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2017年 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | .--- | 1.2 | 1 | 1 | 5 | 5 | 27.00 |
NPB:7年 | 228 | 0 | 0 | 0 | 8 | 6 | 2 | 49 | .571 | 160.2 | 47 | 143 | 79 | 75 | 4.20 |
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関連項目
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