井上雅央(1970年3月6日-)とは、プロレスラー、雅央ワールドの支配者である。
2011年にはデビュー20周年を迎え、翌年2012年にフリーとなった、王道マット界では事実上最強の男。
概要
1990に全日本プロレスでデビューし、1999年にはアジアタッグ王座を獲得。
2000年にNOAHに移籍してからは主に前座で会場を暖めたりやられ役をこなしているが、
偶にタイトルに挑戦すると確実に観客の支持を得る人気者の「悲しき中年」。
~~~全盛期の井上雅央伝説~~~
- どんな相手どんな場所でも自分の世界観に引き込む世界屈指の試合巧者である。
彼に対抗出来るのはスーパーストロングマシン率いる「マシン軍団」ぐらいである。
しかしの一人の雅央に対して複数人のマシン軍団なので個人の技量ではやはり雅央の方が一枚上手である。 - 他団体選手と最初に戦う事が多く、別名・NOAHのヴァージンキラー。この男を避けて通ることは決して許されない。
- 各界に熱狂的なシンパサイザーが数多居る、裏世界のカリスマである。
- 顔面こすり界の匠とされ、この分野では常に絶対的なオピニオンリーダー。
彼の顔面こすりにマトモに太刀打ちできるのは大谷晋二郎くらいである。 - 西永レフリーとの謀略知略工作に長けた駆け引きがCIA、旧KGBから工作活動の模範として注目されている。
- 西永レフリーとの芸術の域まで達した駆け引きは、毎年その分野のノーベル賞候補となり、
全国のPTAにも注目されている。 - 試合中にタイムを要求し認められない回数は、申請さえすればギネス記録保持者だとされる。
- 常に最高のコンディションで試合に挑むストイックな姿勢は、
秋山準から「健康の為に試合をしているのではないか?」と疑問視された事も。 - 大変な美食家であり、それ故に通風と言う諸刃の剣を抱えている。
- アルゼンチン・バックブリーカーは千ある雅央の引き出しの一つでしかない。
- ミリオンダラーバスターは雅央最後の切り札であり、試合早々にこの技を繰り出す雅央は以後、
圧倒的に不利なハンディマッチを行っている。 - オリャーラリアットは雅央最強の打撃技である。
オリャーラリアットは見かけ程の威力はなく、ランニング式、連打式など単発では終わらない工夫が必要とされる。 - 試合に負けても勝負に負けた事はただの1度もなく、事実上無敗。
- デビュー以来、井上雅央は一貫して常に全盛期である。
- 自身はもちろん、マット界全体を見渡し、常に批判的な姿勢を忘れず、反体制側に付く事を貫く。
- 根が善人の為に、なかなか悪になりきれない。その優しさと強さ故にである。
- 小橋建太のハーフネルソンスープレックスを完全に受け切り左股関節後方脱臼。
その後復帰したスポーツ選手は雅央が初である。 - NOAHの副社長であり、天才・丸藤正道のファイトスタイル、ムーブ、必殺技、存在感、容姿、言動、
その全てを100%真似る事が出来る、ただ1人の人物。
丸藤を真似た雅央は丸藤の家族にも見分けが付かないそうである。 - イケメンっぷりが話題となり、全然顔は似ていないのに、
NOAHで1~2を争うイケメンであるKENTAと間違われる事も。 - 現GHC王者の潮崎豪から王座を奪えば、観客動員の不振に喘ぐNOAHを救う存在になるとも言われている。
- デビュー20周年記念試合の6人タッグで小橋、健介、潮崎に「チョップは1人10発まで!」と注文したものの、
最終的に合計121発のチョップを受けた選手も雅央が史上初である。 - ここ最近の雅央は小橋と絡むことが多く、小橋プロレス対マサオワールドの緻密な心理戦が各所で展開されている。
- 上記の通り2011年にデビュー20周年を果たしたが、翌年にフリーとなった。
このフリー転向がマサオワールドの世界進出を意味することになるかどうかは定かではない。
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関連項目
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