「健康と美容のために、食後に一杯の紅茶」とは、封印の呪文である。
概要
『銀河英雄伝説』第7巻「怒涛篇」第五章「蕩児たちの帰宅」に登場する電文。かつて銀河帝国軍から奪取し、前年に放棄して帝国軍の手に戻っていたイゼルローン要塞をヤン艦隊(エル・ファシル革命予備軍)が再奪取するにあたり、要塞の機能を停止させるために送信された、およそ正常ではない文章である。
このキー・ワードがイゼルローン要塞のコンピューターに受領された瞬間、ヤン・ウェンリーが要塞を放棄した時に仕込んでいた罠が発動し、全防御システムが封印状態におちいって機能を停止した。このため要塞はヤン艦隊の突入を許し、さらには予備管制室から封印解除のキー・ワードでもって各種防御火器の制御を奪われ、陥落することとなるのである。
事態の流れ
当時、エル・ファシル革命予備軍ヤン艦隊(この時ヤン自身は出戦しておらず、指揮官はウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ上級大将)は、まる1年前に自ら放棄し、帝国軍に接収されていたかつての拠点イゼルローン要塞を再奪取しようとしていた。
この動きに対して、当時の帝国軍イゼルローン要塞司令官コルネリアス・ルッツ上級大将は、要塞駐留艦隊が出撃した隙にヤン艦隊がイゼルローンを落とす策略ではないかと判断。策略承知であえて艦隊が出撃することで要塞に向かうヤン艦隊を罠にかけ、艦隊と要塞とではさみうちにしようと考えた。そこで彼と艦隊は要塞を離れたのだが、こうした彼の動きはすべてヤンの術中にあった。
肉迫したヤン艦隊から複数の通信波が放たれ、「健康と美容のために、食後に一杯の紅茶」という、正常とも思えない数語をコンピューターが受領した瞬間すべての防御システムが無力化してしまったのである。
この紅茶キチのトンチキフレーズは、一年前の要塞放棄の際に隠されていたものだった。当時、陽動として同時に要塞各所に配置されていた多数の極低周波爆弾を発見した帝国軍側も、ヤンであればより辛辣な罠を隠していてもおかしくない、とは考えつつもそれまで発見できなかったのである。電文はあくまで封印魔法の発動ワードにすぎず、魔法の本体である要塞無力化機能そのものは放棄時からシステムの中にあったわけで、ウイルスとかバックドアとかどころではない兇悪さであった。
結果、絶大な攻撃力を誇る要塞主砲“雷神のハンマー”をはじめとする兵装類は動きを止め手動制御への切替すら不可能、港湾ゲートの閉鎖も不能というありさまとなった。ヤン艦隊の要塞突入を阻む手段は、瞬時にしてことごとく失われたのである。かくして、要塞守備部隊は留守司令官オットー・ヴェーラー中将のもと、ヤン艦隊の突入に対し壮絶な白兵戦を繰り広げることになる。
封印解除
さて、首尾よく要塞の封印に成功したヤン艦隊だが、そのままではおっとり刀で駆けつけた多数のルッツ艦隊に後ろを突かれるだけである。それまでに要塞を掌握して防御システムを再び動作するようにしなければならないわけだが、封印の呪文があるならば、彼らには封印をとく呪文も当然あった。
要塞に突入したヤン艦隊のユリアン・ミンツ中尉ら一隊は、第四予備管制室を占拠する。放棄前にこれあるを予測し、この管制室に戦術コンピューターを連動させてあったのである。操作卓にメイン・キーがいれられると、ユリアンは“雷神のハンマー”レリーズ封印解除のキー・ワードを入力した。
ポプランに視線をむけられて、ユリアンは操作卓にしなやかな指をのばし、一連のキー・ワードを回路にうちこんだ。
「ロシアン・ティーを一杯。ジャムではなくマーマレードでもなく蜂蜜で」
ポプランが、血と汗によこれた顔のまま失笑した。最初のものと同様およそ軍事的緊張や興奮とは無縁なキー・ワードだった。
このキー・ワードにより、敵であるはずのヤン艦隊のもとで封印をとかれた要塞主砲“雷神のハンマー”が要塞へと全速で帰投しようとするルッツ艦隊にむけ発射された。同時に要塞内部の帝国軍の士気も崩壊し、抵抗不可能を悟ったヴェーラー中将がヤン艦隊に対し要塞の放棄を申し入れたのは、この1時間20分ほど後のことである。申し入れが受け入れられた直後、ヴェーラー中将は執務室のデスクで自殺した。
キー・ワードについて
そもそもとしてヤンにとって健康とか美容とかはせいぜい紅茶を飲む口実程度では、とか、「健康と美容のために一杯の実質ブランデー」じゃないのか、とか、本当はロシアン・ティーもブランデーでほしいんじゃないか、とか、そういうあたりについてはいくらでも疑問がわいてくるが、ここで触れたいのはあいにく紅茶の美味しい飲み方ではない。
この封印のキー・ワードは「正常とは思えない数語」「それにしてもなんとふざけたキー・ワード」などと地の文で評され、封印解除のキー・ワードとともに「およそ軍事的緊張や興奮とは無縁」とされる。ヤン本人的には「数年にわたって帝国の公用通信で用いられるおそれのない語句」としてかなり苦労して選んだらしいが、ハイセンスな語句とは本人にすら言えない、とまで書かれている(ただし、銀英伝の地の文はヤンに対しては妙に辛口なことでも定評がある)。
とはいえ、暗号としてこうした意味や緊張感のないフレーズが使われることは歴史上ときおりあることではある。遠く異朝をとぶらへば「全世界は知らんと欲す」、「秋の日のヴィオロンのためいきの」、これらは暗号に故あって無関係な文章を付け足したり、無関係の文章をまるごと暗号として別の意味を持たせた例である。近く本朝をうかがふに“小豆袋”、「ヒノデハヤマガタ」、これらは連想ゲームや語呂合わせの暗号といえる(前者の史実性はこの際おこう)。暗号は皆とりどりであって、緊張感に欠けるワードも少なくないわけであるが、それを接近中の敵部隊が送りつけてくるのはいささか斬新なたぐいかもしれない。
なお日常での実用性であるが、せっかくの銀英伝公式キー・ワードだからとPCほかのセキュリティ・パスワードに使うのはオススメしない。ちょっと長すぎるし、作品的にも「意味のある文字列」以外の何物でもないし、そもそもとしてフリーズかブルースクリーンが起きそうで怖い。でも不審さは皆無なので、一般社会でそれとなく銀英伝ファンを探すのには使えるのではないだろうか。
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