加賀温泉郷単語

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カガオンセンキョウ
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加賀温泉郷とは、石川県加賀地方にある温泉郷である。

概要

加賀市にある「山代温泉」、「山中温泉」、「片山津温泉」と小松市にある「粟津温泉」の計4か所の温泉地の総称で、いずれも「関西座敷」として古来から人気が高い温泉観光地である。玄関口であるが「加賀温泉駅」と名乗っているため誤解されやすいが、「加賀温泉」と言う温泉は存在しない。

温泉歴史日本のみならず世界的に見ても非常に古く、「山代温泉」、「山中温泉」、「粟津温泉」は開湯1300年の歴史を持っており、その中の「粟津温泉」には、一時期に「世界最古の館・ホテル」としてギネス記録認定された「粟津温泉 法師」が現在も営業している。[1]また、「片山津温泉」も発見されたのが1653年(江戸時代中期)で、開湯に至ったのが1876年(明治時代初期)と約200年の歴史を持つ。

また、その歴史の古さゆえ、江戸時代には松尾芭蕉明治昭和には与謝野晶子田山花袋谷崎潤一郎棟方志功など多くの著名な偉人や文化人が各温泉地を訪れ、俳句や書籍を書き残し、その素らしさを後世に伝えている。さらに過去には皇太子時代に上皇明仁も滞在したことがある。

ちなみにいずれの温泉にも「総湯」と呼ばれる日帰り入浴施設があり、館に泊まらずとも一般的な銭湯スタイルで気軽に浸かりに行くことができる。また、こちらは館によっては事前予約が必要になるが、館の大浴場を日帰り入浴で開放しているところもある。

各温泉地・主要な旅館紹介

粟津温泉

特徴

加賀温泉郷で小松市内にある温泉地で、開湯1300年歴史を持つ古湯である。その歴史は他の三湯よりも一線を画しており、現在まで営業している館の中には開湯当時から営業し続け、1996年2011年の間で「世界最古の館・ホテル」としてギネス世界記録認定された館「法師」がある。他にも2012年創業700年を迎えた「のとや」など、温泉とともに歩んだ歴史ある館が多い。

近隣には定名勝の「那谷寺」があり、温泉はその門前町として栄えた。江戸時代にはその那谷寺までの参が整備され、並木にはが使われた。現在でもその名残として残るのが「」で、加賀三代前田利常が直々に植えたと伝わる。また、松尾芭蕉の「おくのほそ」に登場する温泉地として有名で俳句も詠み残している。

泉質・効能

温度は45℃と少し高めで、質は「ナトリウム-硫化物(低性-弱アルカリ性-高温泉)」[2][3]。いわゆる芒硝の一種で、色は透明に近くサラッとした感触の温泉である。特徴としては血管作用があり、入浴し続けることによって神経痛、高血圧症動脈硬化筋肉痛などの解消を助ける効果があるとされる。また、新陳代謝を促進してくれるため、切りキズややけどの治癒を助けたり、美容効果も期待されている。

以上の効があるゆえ、開湯以来から「霊」として重宝され続けてきた。ちなみに法師に伝わる粟津温泉の言い伝えとして、「一濯則ち形容端正、両濯則ち万病悉徐」[4]という言葉がある。

歴史

開湯の経緯

粟津温泉は、今から約1300年前の718年(養老2年 奈良時代)、白山開山の祖として知られる修験僧、泰澄によって発見された。開湯までの経緯は伝説や言い伝えが残っており、現代では言い表しがたいシチュエーションがあるが、一番有な説として白山大権現お告げ説がある。

この説によるとある日、泰澄は夢枕白山大権現のお告げを突如として聞いた。

という温泉涌出す。、往きて之をり、末代衆生の病患を救うべし」

口語訳】
という温泉が湧き出している。あなたはそこに行って温泉を掘り開き、(その温泉を使って後世永遠に)民衆にかかっている病気を直して救いなさい。

このお告げを聞いた泰澄は大喜びし、すぐさま(現在小松市地区)に向かったのである。

に着くと、高僧である泰澄を慕って一見ようと大勢の村人たちが集まってきた。そんな中、泰澄は右手に錫左手に数珠を持って深くをつむってしばし歩いた。そしてある場所で立ち止まり、村人たちにここを掘るよう命じた。村人たちは協して掘ってみると、なんと温泉が噴き出してきたではありませんか。

これを見た村人たちは驚きと歓喜に包まれ、泰澄を「生」と崇めたのであった。

法師・のとやの創業

その後、村人たちはに残ってほしいと泰澄に頼み続けるが、泰澄はこれを拒否。代わりに観世音菩薩薬師如来の像をに与えた。のちにこの2体の像は大王寺exit安置され、られた。さらに子のを還俗させ、温泉を管理させた。のちにそのは湯治宿を創業した。これが現在でも営業している館「法師」である。

そしては養子を「善五郎」と命名し、館経営を任せた。以来、この「善五郎」の名は実際に絶やすことなく受け継がれ、2021年の時点で46代続いている。館としても2018年創業1300年を迎えた。

また、鎌倉時代後期の1311年(応長元年)には「亭懐石のとや」が創業。こちらも現在でも営業している館で、2011年創業700年を迎えた。

那谷寺の門前町として栄える

開湯とほぼ同時期の717年(養老元年)の、泰澄は岩屋寺を開創し、粟津温泉はその門前町として栄えるようになった。989年(永延3年)~992年(正3年)頃には花山法皇が岩屋寺に行幸。その折に寺の名前を西十三所の智山と山からそれぞれ一文字ずつ「那」と「」を取って「那谷寺」と名させたのであった。

しかし室町時代に突入すると寺は南北朝動乱の戦火に巻き込まれた。戦国時代になると今度は加賀一向一揆衆の拠点となって戦が勃発。寺は荒し、粟津温泉も門前町としての性格が揺らぐこととなった。また、泰澄から授かった観世音菩薩薬師如来を大王寺も越前朝倉氏によって焼き討ちにあった。

しかし時代は江戸時代に変わると転機が訪れる。加賀2代前田利常小松に隠居すると、那谷寺大王寺の再建を命じた。また、今江町地区周辺から粟津温泉を経由して那谷寺に至る約10kmの参整備を命じた。参並木にはの木が植えられた。この整備によって粟津温泉は再び門前町としての性格を取り戻したのである。この参はのちに「御幸街道」と呼ばれ、杉並木の1本は「」として館「法師」前に現存している。
ちなみに前田利常も粟津温泉を訪れたとされ、現存する「」を直々に植えたと伝わっている。

そして北陸地方は北前[5]の寄港地としての性格も持ち始め、粟津温泉はそれに乗ってやって来る湯治客で大繁盛を遂げた。

文化人に愛された粟津温泉

時代は明治大正昭和近代になると、与謝野晶子田山花袋など、後世の学校教科書に載るような著名な文化人が訪れ、粟津温泉を評価した。

特に田山花袋は、「温泉ぐり」という作品の中で「粟津温泉は一番静かで居心地がよかった」と書き記して評価している。

総湯案内

備え付けのアメニティはないため、持参する必要がある。タオルは有料貸出あり。駐車場備しているが、収容台数は少ない。

主要な旅館

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アクセス

山中温泉

特徴

粟津温泉、山代温泉と並んで開湯1300年を持つ歴史ある古湯。加賀市南部の山あいのに位置する温泉地で、館数も他の三湯にべて最も多い。過去には、松尾芭蕉が「おくのほそ」の程内で訪れたことで知られる。その際に、子の曾良の別れをした逸話が「おくのほそ」の一節に残っている。この話は古文教科書に載るほど有名な話となっている。また、「料理の鉄人」で知られる道場六三郎の出身地としても知られる。

近くには勝地の仙渓とあやとりがあり、県内屈紅葉スポットとして有名。限定で床が設置され、間にはライトアップイベントが開催されることがある。

また、総湯が男女別棟の形式となっており、これは山中温泉だけである。さらに総湯前で温泉玉子手作り体験ができる。

泉質・効能

質は、「カルシウムナトリウム一硫」。透明サラッとした質である。神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、打ち身、慢性消化器病、痔病、冷え性、疲労回復動脈硬化症、切り傷、やけど、慢性皮膚病などに効果がある。また、飲できる温泉で、飲んだ場合は胆石、慢性便秘症、肥満糖尿病痛風に効果がある。

歴史

山中温泉の開湯伝説

山中温泉の開湯については、2つの有な説がある。1つは、今から約1300年前の奈良時代、高僧の行基が発見したと伝わる。2つの説は、平安時代末期の治承年間頃。鎌倉武士能登地頭であった長谷部信連がこの地を訪れた。すると一羽のが傷めた足を山かげの小さな流れで癒しているのを発見した。その場所を掘ってみると5寸[6]の大きさの薬師如来像が出現。それと同時に美しい温泉が湧き出したのであった。

信連はこの場所に12件の湯宿を開業。これが現在ある山中温泉の始まりとされる。

ちなみに現在でも営業している館「湯たわらや」も、創業がこの時期とされる。

「おくのほそ道」と山中温泉

時は江戸時代になると、俳人の松尾芭蕉が「おくのほそ」の程内で山中温泉を訪問した。この地を訪問した的は、子の河合曾良腹痛で体調を崩していたためで、これを湯治で治しにきていたのであった。

山中温泉に訪問した際、芭蕉は山中温泉を「扶桑の三名湯」と讃え、一句詠み残している。

山中や菊はたおらぬ湯の匂  芭蕉

(現代訳)
ここ山中では、菊児童伝説[7]のようなによらずとも、この湯の香りを吸っていると十分に長寿のききめがありそうだ。

しかし、湯治でも河合曾良は体調を回復することができなかったため、曾良は自らの同伴をリタイアし、伊勢戚を頼ることを決断したのであった。この時に一句ずつ読み合い、の別れを果たしている。

行ゝて(ゆきゆきて)たふれとも萩の原  曾良

(現代訳)
このままどこまでも行って、萩の原(=原っぱ)での途上で死のう。

今日よりや書付消さんの露  芭蕉

(現代訳)
(曾良と別れて今日から一人を歩むことになる。)に付いた露でに書いた「同行二人」の字も消すことにしよう。その露はの露か、それとも私のか。

この一節は古文教科書に登場するほど有名な逸話で、「おくのほそ」の中でも最大の転換点となっている。

山中温泉で興隆する伝統工芸~古九谷と山中漆器~

山中温泉では、現代に息づく2つの石川の伝統工芸の発祥地とされている。

まず1つが九焼で、その中でも明期にした古九が山中温泉発祥とされている。古九の起こりは今から約300年前、大聖寺の初代前田利治が臣の後藤次郎田村権左衛門に山中温泉上流の九谷村に窯を築かせたことに始まる。ここから数々の名陶が生まれたのであったのだが、開窯からわずか50年で突如として歴史舞台から消え去ってしまう。なぜ消え去ったのかついては現在でも解明されておらず、現在でもなお山中温泉最部の窯跡で発掘調が続けられている。

2つ日本三大漆器として有名な「山中漆器」である。山中漆器の起こりは今から約400年前の安土桃山時代正年間までさかのぼる。この時期に越前から木地師が集団でやってきて、山中温泉から南へ約20kmのと呼ばれる地に移住した。そこで作られた漆器が山中温泉の湯治客の土産物として人気を呼び、次第に発展していった。江戸時代中頃には会津京都金沢より絵や塗りの技術を導入し、時代とともにやかさも増していった。また漆器は茶道具としても人気を呼び、当時の需要を掘り起こしたのであった。時代が昭和になると、30年代ごろからプラスチックの素地にウレタン塗装を施した合成漆器の生産を開始。生産額を飛躍的に伸ばした。現在では石川県文化財に定され、保存活動が行われている。

総湯案内

アメニティタオルは要持参。浴槽はかなりの深さがあるタイプのため、子供を連れる場合はを離さないよう注意が必要となる。駐車場はあるが、台数がかなり限られている。

主要な旅館

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アクセス

山代温泉

特徴

粟津温泉と山中温泉のちょうど中間に挟まれた温泉地。こちらも開湯1300年の歴史を持つ古湯で、一般的な銭湯スタイルの新総湯と湯治場スタイルの古総湯、2つの総湯があることで知られている。

過去には与謝野幹・与謝野晶子夫妻、泉鏡花吉井勇、北大路魯山人が滞在し、名だたる近代された温泉として有名である。

お土産温泉玉子がとても有名で、手ごろな価格で購入できるため、地元のスーパーに陳列されるほど地元民のソウルフードとなっている。

泉質

山代温泉では2つの質がある。1つは「ナトリウムカルシウム 一硫化物」、2つが「カルシウムナトリウム 一硫」である。いずれも筋肉のこわばりや冷え性、睡眠障害を伴ったストレスを緩和してくれる効がある。他にも切りキズ、皮膚燥症、軽度の高血圧、高コレステロール血症などに効果がある。

歴史

行基ゆかりの温泉として

山代温泉の開湯は今から約1300年前の725年(2年)までさかのぼる。山中温泉でも開湯伝説がある高僧の行基が、白山修行へ向かう途中、一羽のたまりで傷を癒しているのを発見した。よく見てみると、その伝説ヤタガラスで、たまりはなんと温泉だったのである。

以来、この地の人たちはこの湧き出る温泉を「カラスの湯」と呼んでしんだ。これが山代温泉の始まりである。

近代文豪が愛した名湯として

明治時代には泉鏡花をはじめ、与謝野晶子、与謝野幹、北大路魯山人が山代温泉に滞在した。山代温泉について与謝野幹は一句詠み残して評価している。

山代の いで湯に遊ぶ 楽しさは たとえて言えば 古九

一方で北大路魯山人は山代温泉に一年ほど滞在し、陶芸師の初代須田導を受けていた記録がある。

現代の山代温泉

2009年には総湯がリニューアルし、総湯と古総湯の2つの総湯がある温泉として全から人気を呼んでいる。

総湯案内

総湯

こちらの総湯は一般的な銭湯スタイルとなっている。浴槽は高温湯と低温湯の2つの浴槽を備。脱衣所のロッカー付きおよび付きではないため、重品の取り扱いには要注意。アメニティタオルも要持参。なお、タオルは有料貸出アリ

古総湯

こちらは湯治場スタイルで楽しめる総湯。洗い場がないため、利用する際は注意が必要。

主要な旅館

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アクセス

片山津温泉

特徴

江戸時代が発見され、明治時代より難工事によって開湯した他の三湯と較して最も歴史が新しい温泉
柴山潟の畔に位置する温泉地で、晴れ天気の際は、畔から白山連峰を望むことができる。また、館によっては浴槽と柴山潟が面続きに見える大浴場もあり、色のいい温泉地として絶大な人気を獲得している。さらにには潟上から打ち上がる花火大会が開催されるため、温泉に浸かりながら打ち上げ花火を鑑賞するということもできる。

また、観光用に屋形やナイトクルーズ、花火クルーズが運行されており、ほかの三湯とはまた違った体験や色を楽しむことができる。

泉質・効能

質は、含化類弱。総湯では、ナトリウムカルシウム化物(高性中性高温泉)と案内される。他の三湯とべてここだけ系の質となっており、色は透明だがめるとしょっぱい味とうっすらと苦みを感じる。

このため、加賀温泉郷の中で「これは温泉である」と最も実感できるのが特徴で、さらに保温持続効果が他の三湯よりも飛びぬけて高く、湯冷めしにくいのも特徴の1つとなっている。これにより、冷え性解消を助ける働きや塩分による殺菌効果もあるため、切りキズややけどの治癒を助けたり、皮膚病にも効果がある。そのほかにも神経痛や筋肉痛、関節痛、五十肩、慢性消化器病、疲労回復にも効果がある。

歴史

源泉の発見!しかし・・・

片山津温泉が発見されたのは今から約350年前の1653年(承応2年 江戸時代)、大聖寺二代前田利明が発見したとされる。
ある日、利明は狩りをしに柴山潟を訪れていた。利明はふと面を見ると、ある場所に水鳥が群れているのを発見。その場所までを寄越すと、なんと底から温泉が湧き出ているではありませんか。

利明はこれを好機と見たのか、費で開湯工事に乗り出して温泉を利用としたのだが、水中が湧き出ている江戸時代の土木技術ではを確保することが不可能に等しかったため、失敗。その後も幾度となく温泉を利用しようと工事を試みたものの、全て失敗に終わり、時は明治時代へと突入した。

難工事の末、片山津温泉開湯へ!

明治時代に突入すると、大規模な開湯工事が行われる。1876年(明治9年)に材30,000本、面積約1ヘクタールを埋め立てて人工を作る工事が行われた。これによって周辺を確保することに成功した。そしてそこにを架けて温泉に入れるようにし、事開湯に漕ぎ着けたのだった。1877年には片山津温泉の最初の館が開業した。

一大温泉街形成へ

大正時代以降は館も増加し、次第に温泉が形成されていった。が架かっていた人工も、館増加に伴いさらに埋め立てて拡し、ついには現在のように陸続きとなった。

昭和平成になると近隣には「中谷吉郎科学館」が建てられ、片山津温泉の観光スポットの1つとなった。2012年には総湯をリニューアルオープンし、庭と柴山潟を一望できる銭湯へと生まれ変わった。

総湯案内

2012年リニューアルオープン。片山津温泉の総湯は、奇数日と偶数日によって2種類の浴槽が男女入れ替わる。の湯では庭の風景が楽しめ、潟の湯では面続きに見える柴山潟が一望できる。なお、備え付けのアメニティがないため、持参する必要がある。タオルは有料貸出がある。駐車場建物の前に備しており、収容台数はかなり多い。

主要な旅館

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アクセス

近隣主要駅までのアクセス

加賀温泉駅

2024年北陸新幹線加賀温泉駅が開業する予定。

金沢駅

金沢から先は片山津温泉、山代温泉、山中温泉への定期直行バス加賀ゆのさと特急exit」が北陸鉄道によって2往復運行されているが、2023年7月末で運行休止となる。

加賀ゆのさと特急

北陸鉄道では、金沢から加賀温泉郷へ直行する「加賀ゆのさと特急」を毎日2往復定期運航している。ルート兼六園下・金沢バス停より金沢駅西口(金沢港口)を経由して北陸自動車道を走行、片山インターから一般を走行し、片山津温泉、山代温泉、山中温泉の順に直行する。

この特急バスを利用すると、特典として利用者全員に1人1枚、片山津温泉、山代温泉(古総湯のみ)、山中温泉の総湯共通無料入浴券が当たる。

2023年7月末で運行休止となる。

関連動画

関連静画

関連商品

関連コミュニティ・チャンネル

関連項目

関連リンク・参考サイト

脚注

  1. *現在は、山梨県西山温泉の「慶雲館exit」が世界最古に認定されており、世界2位となっている。
  2. *粟津温泉総湯の成分を代表して記述する。
  3. *粟津温泉総湯について(まるごと・こまつ・旅ナビ)exitより
  4. *口語訳:温泉に一度入ればたちまち美人、二度も入れば万病よさらば(法師公式サイト温泉紹介ページexitより)
  5. *日本海側の地方各地と大坂日本海り(西り航路)で寄港しながら輸送する交易のこと。東回り航路(太平洋り)と並んで江戸時代要な運だった。
  6. *メートル法に換算すると約15.15cm
  7. *中国に伝わるおとぎ話。菊慈童。菊のびらの露を飲んで700歳まで生きたという内容の話。

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加賀温泉郷

1 Knuckle Key
◆.xjSlLbq9U 2021/04/04(日) 19:45:40 ID: DbIIsfGkHh
観光大使を務めてる著名人加賀楓以外にもいたっけ?
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2 ななしのよっしん
2023/07/20(木) 10:32:11 ID: 3SmnzS0XJu
観光協会が作った
記事だろうけど、長い
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1
3 おきな
2023/12/09(土) 14:32:25 ID: SlR8J2LCjO
現在OCHA NORMA中山月姫ちゃんも観光大使を努めている
(正正銘の加賀市出身)
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