北海道札幌市中央区南10条西2丁目(以下南10西2、またはS10W2)とは、北海道札幌市中央区にある、最も存在意義が謎な条丁目である。
概要
札幌市の市街地は、道路を除いた辺長が1丁(約109m)の正方形をひとつの区画として条丁目を設定し、それを碁盤目状に並べることで形成されている。
…が、地形に沿った場所などでは綺麗な正方形にならないイレギュラーな区画もあり、その中には極小な区画も存在する。そのような区画は独立した条丁目とはせず、隣接する区画とひとまとめとして条丁目を設定することが多いのだが、稀に極小な区画であるにも関わらず独立した条丁目が設定されている場合がある。そのなかのひとつが南10西2、札幌市で最も小さい条丁目である。
南10西2はその全体が緑地帯になっており、木下弥八郎という人物の記念碑(大正10年、1921年建立)が建てられている他は建物など存在せず、人口は0人。こんな場所だが一応住居表示実施済みであり、街区符号は1のみ存在する。もちろん建物がないので住居番号の設定はない。郵便番号は〒064-0810である。
参考までに、平成8年に作製された地積測量図によると緑地帯の斜辺の長さは33.897mとのこと。
最寄り駅は中島公園駅。横断歩道があるため歩行者が立ち入ること自体は可能。
▲全景(南9条西3丁目方面から撮影) |
1909年発行の地図では、この場所にはかつて東西を横切る道路(菊水・旭山公園通)がなく、代わりに川が流れていたようだ。1918年の地図には横切る道路ができており、この三角形の区画も描かれているので、(地図の表記が正しいことを前提にすれば)三角形の区画はこの間にできたものと思われる。
木下弥八郎って誰?
▲木下弥八郎君之碑 |
ところで、記念碑にある木下弥八郎とはどんな人物だったのだろうか。
木下弥八郎は但馬国豊岡藩の元家老で、後に札幌に移住し、その開拓に尽力したとされる。具体的にどのような功績があったのか今となっては定かでないが、記念碑の碑文を原敬、題字を西園寺公望と錚々たる面々が手掛けており、その功績がいかに高く評価されていたかを窺い知ることができる。木下弥八郎は当時、ちょうど南10西2あたりに居宅を構えていたようで、記念碑はその跡地に建てられた形となる。
ちなみに、近くの中島公園内には弥八郎の息子である木下成太郎の銅像がある。成太郎も弥八郎と同様、札幌開拓に貢献したとされる人物である。
その他、札幌市にある狭小な条丁目の例
- 北3条東15丁目(中央区)
苗穂駅東。ジェイ・アール北海道バスのバス停の名前にもなっているが、肝心の区画の方はほぼ線路か道路。 - 北9条西13丁目(中央区)
桑園駅東。ほぼ線路。ガード下に北海道旅客鉄道労働組合の事務所がある。 - 南3条西14丁目、南3条西15丁目(中央区)
前者は交番が一軒建っているだけで、あとは二条小学校のグラウンドや遊具がある。後者は札幌医科大学附属病院の敷地の一部。ここに限らず、南3条西は狭小な丁目が多い。
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関連項目
- 北海道 / 札幌市 / 中央区(札幌市)
- 住所
- 札幌市中心部の条丁目一覧
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