目次
分類 | 種類 |
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十大紋 | 藤 / 桐 / 方喰 / 木瓜 / 鷹 / 茗荷 / 橘 / 柏 / 沢瀉 / 蔦 |
天体紋 | 日(太陽)・月・星 |
文様・文字紋 | 州浜 / 目結 / 菱 / 引両 / 鱗 / 蛇の目 / 卍 |
植物紋 | 稲 / 梅 / 梶 |
動物紋 | 雁 / 蝶 |
器物・建造紋 | 車 / 銭 / 升 / 団子 |
十大紋
十大紋というのは日本の家紋の中でも用いられる頻度の高い、また庶民にも多く広まった十の家紋のことである。誰が決めたかとかいつごろから言われたとかはちょっと分からない。
藤紋
藤(フジ)は蔓性の植物で色々な所に巻きつき、長寿で繁殖力が高く、紫の美しい花をつける。古来より食用、衣料、建築に重宝されたことから生命の源として人気があった。まさに「不死」の植物なのである。この名を冠した藤原氏はご存知のとおり各地に根を張り、広まった。
藤の意匠は家紋でも用いられた。藤原氏嫡流の五摂家では九条家、二条家、一条家で用いられた。また、佐藤氏、伊藤氏、加藤氏、安藤氏、長谷川氏、藤井氏、藤本氏など藤原氏の後裔や、「藤」のつく苗字の家が多く用いる。藤原氏、「藤」のつく苗字以外の家でも用いられ、藤原氏にあやかるといった意味が多分にあったと考えられる。
元々は「下り藤」であるが、下がっているばかりじゃ縁起が悪いと言わんばかりに「上り藤」も多く見られる。「八つ藤」「藤巴」「三つ葉藤」「藤菱」など、藤が枝垂れていない意匠のものもある。
桐紋
桐は中国の伝説によると、鳳凰の宿る木であるとされる。鳳凰は聖天子が世に出るときに現れるといい、そこから皇室が桐紋を副紋としている。
皇室は勲功があった者に積極的に桐紋を授けた。後醍醐天皇が足利尊氏に桐紋を授けたことが知られる。足利氏はその後、臣下の者たちに桐紋を授けた。また、豊臣秀吉が大坂城に施すなど積極的に用いたため、更に桐紋が広まったようだ。皇宮警察や法務省でも標章として桐紋を用いている。
基本は皇室の「五三桐」「五七桐」。花の配列が「3-5-3」であるのが五三桐。「5-7-5」であるのが五七桐である。また、豊臣秀吉が広めた「太閤桐」も知られる。その他には「桐車」「蔓桐」など。
方喰紋
方喰(カタバミ。漢字は「酢漿草」とも)の葉はクローバーに似た形をしている。繁殖力が非常に強く、現代でも都市部の路肩にて自生していることがある。鏡を磨く際に方喰の葉が用いられ、自己研鑽の印でもあった。
子孫繁栄を願い、方喰は多く用いられた。公家では冷泉家、大炊御門家などが用いる。武家では長宗我部氏、酒井氏などが用いた。
葉が三枚「方喰」の紋は、簡単で明快な意匠をしている。武家では、刀の文様を葉の間に挟み「剣片喰」を家紋とする家も多い。長宗我部氏は葉を七枚合わせた「七つ方喰」を用いる。他には葉の間に実を挟んだ「実付方喰」、四つ葉のクローバー状にしたもの「四つ方喰」などがある。
木瓜紋
木瓜(モッコウ)は、瓜の切り口を図案化したものと言われる。が、実際は地上にある鳥の巣を図案化したものという見方も根強い。鳥の巣の意匠が神社の簾の帽額(もこう:簾の上部に、横に長く張った布)にあしらえてあったのだ。「もこう」が「もっこう」に変化したものと言われている。
鳥の巣には卵があり、子孫繁栄が願われた。古代豪族日下部氏や紀貫之の紀氏、大伴氏の後裔、伴氏などの後裔が木瓜紋を盛んに用いた。朝倉義景の朝倉氏の家紋は木瓜であるが、これは朝倉氏が日下部氏の後裔を称していたことに由来する。また、公家の徳大寺家も木瓜紋である。徳大寺実能が牛車に木瓜を用いたことが知られる。また、織田信長の織田氏も木瓜紋。
「木瓜」は基本的に横に長いものが多い。縦に長いものは「竪木瓜」と呼ばれる。三つの木瓜を三角形に並べたものは「三つ盛木瓜」といい、朝倉氏が用いた。花びら状のものは基本的に三枚であるが、五枚のものは「織田瓜」と呼ばれる。織田氏が用いた。徳大寺家のものは花菱が花弁の中に書き入れられており、「徳大寺木瓜」という。木瓜は他の家紋と合わせて用いられることが多かった。
鷹紋
違い鷹の羽 (使用家:阿蘇氏など) |
鷹の羽、若しくは鷹そのものををあしらった家紋。鷹は勇猛で凛々しい。また、狙った獲物は逃さない。古くは仁徳天皇の時代から狩りに鷹を用い、鷹匠という職業も生まれた。
鷹は勇猛さのシンボルで、武家が用いることが多い。「忠臣蔵」の主要人物、赤穂藩主浅野内匠頭長矩家の家紋が鷹の羽であった。また、阿蘇神社の神紋が鷹の羽であり、神官阿蘇氏や菊池氏も鷹の羽紋を用いた。
鷹の羽紋は様々な形がある。多くは二本の羽を交差させた「違い鷹の羽」だが、浅野氏のように二本の羽を並べた「並び鷹の羽」も存在する。浅野氏のものは「浅野鷹の羽」と呼ばれる。その他、「一本鷹の羽」「三つ並び鷹の羽」「鷹の羽車」。
鷹そのものをあしらったものも稀にある。鷹が羽を丸形に広げている「鷹の丸」や、鷹が棒に止まっているところを紋にした「架に鷹」などがある。
茗荷紋
茗荷(ミョウガ)は生姜に似た香味がある植物。生姜の仲間である。食べると物忘れがひどくなるとも言われる(学術的に無根拠)が、薬味によく用いられる。冥加(神仏からの加護)と音が通じ、めでたいものとされた。また、摩多羅神のシンボルとされる。
ご利益を期待して家紋とする家が多く、中根氏や稲垣氏などが茗荷紋を用いた。
茗荷紋は茗荷の花を意匠とした物。二つ対になった「抱き茗荷」が基本形である。また、交差させた「違い茗荷」、抱き茗荷の片方の花が上下逆になった「入違い茗荷」、片方の花が黒塗りの「陰陽抱き茗荷」、稲垣氏が用いた「稲垣茗荷」なども見られる。
橘紋
橘はみかんの原種として知られる、柑橘類の植物。垂仁天皇が田道間守を常世の国に遣わせて持ち帰らせた「非時香木実」は橘だと言われる。橘は不老不死の妙薬とされていたのだ。
その名を冠した橘氏の後裔に橘を家紋とする家が多い。橘氏以外にも橘紋は用いられ、井伊氏や薬師寺氏などが橘を用いた。
「橘」はそのまま橘をあしらっている。井伊氏のものは「彦根橘」という。丸や、井桁、月輪の中に入れたものも見られる。
柏紋
柏は古い葉も新芽が出るまで落ちないので「代が途切れない」。また、葉を柏餅にする。これは古代柏の葉に食べ物をのせて神に捧げていたことに由来する。柏の木はご神木なのである。
土佐山内氏、大名牧野氏などの武家や、久志本氏、千秋氏、宗像氏、卜部氏などの神官が、柏を家紋としていた。卜部氏の流れをくむ公家、吉田家、藤井家、錦織家なども家紋は柏である。
柏の葉を三つ合わせた「三つ柏」が基本形。葉が細いものは土佐山内氏が用いたので「土佐柏」と呼ばれる。一枚の葉を折った「折り柏」、蔓の文様を入れた「蔓柏」などもある。
沢瀉紋
水野沢瀉 (使用家:水野氏など) |
沢瀉(オモダカ)は水草の一種。「勝ち草」とも呼ばれる。水辺に生える植物だ。葉が盾や矢じりに似ており、戦勝のシンボルとして用いられる。
水野氏が用いたことで知られる。また、毛利氏が副紋として用いた。
抱き合わせた形の「抱き沢瀉」や、水野氏が用いた「水野沢瀉」。立たせた形の「立ち沢瀉」、円形にあしらった「三つ追い沢瀉」などがある。
蔦紋
蔦は蔓を伸ばし他のものに絡まる。そして、永きにわたり繁殖する。そのことから家紋にもなった。徳川吉宗が徳川家の副紋として蔦紋を用いた。また、椎名氏、藤堂氏なども用いた。客を離さないことから商人や遊女などに人気があったようである。
基本形は「蔦」。葉の切り込みが鋭いものは「鬼蔦」という。また女紋に、輪の中に小さい蔦を描いた「糸輪に豆蔦」が多い。藤堂氏が用いたものは「藤堂蔦」。他には「蔦菱」「鶉蔦」「蔓蔦」などがある。
天体紋
月に星 (使用家:千葉氏など) |
渡辺星 (使用家:渡辺氏など) |
天体は何かと浪漫を掻き立てられる。昔の人も同じだった。空にあるものに畏敬や憧憬をもって接してきた。
日本では太陽も月も星も丸型で示される。朝昼夜の移り変わりは生命の象徴であった。
太陽を模したものには「日の丸」「日足」。日足は龍造寺氏が用いていた。月は「三日月」や「朧月」。天野氏は「三階松に三日月」を用いた。星には「三星」などが見られる。渡辺氏は三星の下に一文字をあしらった「渡辺星」を用いていた。
文様・文字紋
州浜紋
州浜 (使用家:小田氏など) |
州浜は上下逆さまにしたらハハッ浜辺に出来る島形の州、入江を表す。和菓子に同じ形をした「州浜」と呼ばれるものがある。
浜辺の豪族や、水神に関係したものが州浜の文様を用いた。また、神仙思想では州浜は不老不死の仙人が住む蓬莱島を表し、これにあやかって家紋を州浜にした家が多いようである。北関東にて特に多く見られる。宇都宮氏庶流の小田氏が用いたことが知られる。
形には三つ合わせた「三つ盛州浜」などがある。
目結紋
平四つ目 (使用家:佐々木氏など) |
隅立平四つ目 (使用家:六角氏など) |
目結は目結染(鹿子染、纐纈染めとも)の文様である。結束のシンボル。宇多源氏佐々木氏族が好んで用いた。また、少弐氏も用いた。
目の数は様々あり、辺を下においたものは「平〇目」、角を下ににおいたものは「隅立〇目」と呼ばれる。また、菱形のものは「菱〇目」という。
菱紋
武田菱 (使用家:武田氏など) |
三階菱 (使用家:小笠原氏など) |
寄せ三菱 |
菱は四辺の長さが等しい単純な模様であり、バリエーションも豊富に見られる。植物の菱から来たのか、形が先で菱という名前が植物から来たのかはあまりはっきりしない。
甲斐源氏の一族が好んで用いた。代表は武田氏の用いた「武田菱」。また、「三階菱」から三菱グループの社章「スリーダイヤ」が生まれた。
三階菱は上から下へ菱が大きくなっていくが、真ん中の菱が大きいのは「松皮菱」という。
花をあしらった「花菱」の模様も多い。大内氏が用いた「大内菱」は独特な形をしている。
引両紋
新田一引 (使用家:新田氏など) |
足利二引 (使用家:足利氏など) |
三浦三引 (使用家:三浦氏など) |
引両は単に引とも呼ばれる。何を表すかは諸説あるが、「龍」を表すという説が有力視されている。龍は雨を呼び、天へと登る霊力の強い霊獣として知られた。
室町将軍足利氏が用いた「足利二引」が知られる。三浦氏や新田氏なども引紋を用いた。
鱗紋
三鱗 |
北条鱗 (使用家:北条氏など) |
鱗は、魚の鱗ではなく蛇の鱗を表している。北条氏、後北条氏が用いた「北条鱗」が知られる。北条時政が江ノ島で反映祈願をすると、後日の夜、美女が現れた。美女は時政に忠告、助言すると蛇に化けて海へと帰っていく。後には三つの鱗が残り、北条氏の家紋も三鱗になったという伝説が残っている。
決してトライフォースではない。
蛇の目紋
蛇の目 (使用家:加藤氏など) |
蛇の目は弦巻とも言う。蛇は昔から神様だった。霊力の非常に強い動物とされ、一種の呪符として用いられていた。名称的には弦巻と呼ばれた方が古いらしい。弦巻は弓弦を巻いておく物のこと。
万字紋
丸に卍(万字) (使用家:蜂須賀氏など) |
万字(卍)は世界中で見られる文様で、古くは古代インドやギリシアなど各地に用いられた。最近のものではナチスのハーケンクロイツが知られる。陽光や慈悲、自由、神聖を意味する。日本でも同様で、仏教の吉祥を表した護符的な文様として用いられた。
家紋としては蜂須賀氏が用いた「丸に万字」(蜂須賀万字)が知られる。また武蔵七党小野氏流横山氏族も万字を多く用いた。また、キリシタンが十字架の代わりとして用いることもあった。
植物紋
稲紋
稲荷抱稲 (使用家:鈴木氏など) |
稲には米がなる。日本は昔から米を育てる農業の国であり、米が金の役割をも果たしていた。米の豊作不作はお稲荷様が担っており、稲紋は稲荷神社のシンボルである。神木の周りに稲わらを積んで米の豊作を願った。ここから穂積や鈴木という苗字が生まれたのも忘れてはならないであろう。日本の美称「豊葦原瑞穂国」から分かるように、稲は日本の縮図と言っていい。
鈴木氏や穂積氏などの熊野神社の神官が稲紋を用いた。武家では亀井氏が稲紋を用いたことが知られる。
稲紋は「抱稲」の形が多く見られる。抱稲の中に方喰や笠を入れたものも多く見られる。中に何も入っていないのは「稲荷抱稲」と呼ばれる。また、交差させた「違い稲」、蝶の形にあしらった「稲蝶」など様々な種類がある。
梅紋
丸に梅鉢 (使用家:金光氏など) |
梅は天満宮のシンボル。かの菅公こと菅原道真が愛した梅の図案化である。天神信仰のある場所ではこの紋を用いることが多い。
高辻家などの菅原氏系の公家を用いた。前田利家の前田氏は菅原氏を称したため、梅紋。 筒井氏なども梅を用いた。
「梅鉢」が多いが、梅の花そのものの「梅花」もある。他には「重ね梅」や「向い梅」「三つ盛梅」などがある。
梶紋
梶の葉 |
四本足に三本梶 (使用家:諏訪氏など) |
梶は、古来より神に捧げる神木として尊ばれていた。柏と同じく葉に食べ物を乗せて神に捧げたりしていた。現代、七夕では竹や笹に飾りを付けるが、昔は梶の葉や枝が用いられていた。
梶の木は神社の境内に多く植えられた。特に諏訪大社は梶の葉を神紋としており、梶は諏訪大社のシンボルである。神官の諏訪氏、金刺氏やその氏子が梶を家紋にすることが多かった。平戸松浦氏もその一つ。
形は多く「梶の葉」を意匠としている。松浦氏が用いたのは円形にあしらった「平戸梶」。
動物紋
雁紋
雁金 |
漢の武帝の時代。蘇武という武将が、匈奴の捕虜となり19年もの間囚われていた。蘇武は雁の脚に手紙を付け、その手紙が人の目に触れたために解放される。この故事から雁は幸運の印とされていた。
柴田勝家の柴田氏は「二つ雁金」を用いた。花房氏が用いたのは「尻合せ三つ雁金」。
雁紋は信州にて多く見られる。海野氏や真田氏などの滋野氏族は「結び雁金」を用いることが多い。
蝶紋
揚羽蝶 (使用家:桓武平氏族など) |
揚羽蝶は桓武平氏の代表的な紋である。平維盛が車に揚羽蝶の紋をあしらったことが知られる。しかし平安時代、蝶の紋は平氏以外にも広く用いられていた。
蝶紋が平氏を代表する紋になったのにはこういう理由が伝わっている。平清盛に源頼朝が殺されるところを清盛の継母、池禅尼に助けられた。頼朝はこれに恩義を感じ、池禅尼の息子、清盛の異母弟の頼盛を重用した。頼盛は揚羽蝶の紋を用いていた。このことから桓武平氏の後裔が蝶紋を好んで用いることとなった。
公家の桓武平氏嫡流西洞院家及びその分家長谷家、平松家などを始め、平家の裔を称する家に揚羽蝶紋が多い。織田信長の織田氏も平家の裔を称し始めると揚羽蝶を用いた。
大名池田氏は蝶を丸型にした「備前蝶」を用いた。織田信長に与えられて紋を用いるようになったという。
器物・建造紋
車紋
榊原源氏車 (使用家:榊原氏など) |
源氏車 (使用家:佐藤氏など) |
牛車の車輪を表す。「源氏車」が著名だが源氏が用いていたわけではなく、「源氏物語」の絵巻の模様だったので源氏車という。「前進」の願いが込められている。
佐藤氏や榊原氏が使用したのが知られる。榊原氏の用いたものは「榊原源氏車」と呼ばれる。
銭紋
六連銭(真田銭) (使用家:真田氏など) |
銭は真田氏の「六連銭(六文銭)」が著名である。三途の川の渡し賃は六文といい、それを図案化した物。六という数字は、仏教の六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)を表し、人々を救うシンボルとなった。
また、織田氏は「永楽銭」を用いた。
銭紋には他に「七銭」「寛永銭」「八連銭」、九曜の形に並べた「長谷部銭」などがある。
升紋
丸に枡 |
升は「増」や「益」の言葉と掛けて、「増加」や「利益」の願いが込められている。
「増」、「益」などの字の付いた苗字のものが升紋を用いた。増田長盛の増田氏も枡紋という。
入れ子にしてある「入れ子升」や、重ねてある「重ね升」などバリエーション豊か。中には升を立体的に描いたものもある。
団子紋
三串団子 (使用家:伏屋氏など) |
織田信長が家臣の野々村幸政に桶狭間の合戦直前に団子を与え、「この如く敵の首を取れ」と励ました。野々村は奮起し、活躍したため、「三串団子」を家紋としたと伝わっている。
関連項目
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