長野県北部地震(ながのけんほくぶじしん)とは、長野県北部を震源とする大地震(直下型地震)のこと。2011年と2014年に発生しており、区別するために前者を「栄村大震災」、後者を「長野県神城断層地震」と呼ぶ。両者とも規模(マグニチュード)はM6.7であった。なお「栄村」は2011年地震で最大の被害を受けた地域の名で、「神城断層」は2014年地震の震源断層の名。
2011年の地震
2011年3月12日午前4時頃に新潟県との県境に近い長野県北東部で発生。震源は36°59.1′N・138°35.8′E、深さ8km。震源に近い長野県栄村で最大震度6強の激震となり、震害も同村に集中したため、しばしば「栄村大震災」と呼ばれる。
普段であればトップニュースとして報じられる規模の大地震であるが、皮肉なことに、前日に発生した東北地方太平洋沖地震や福島原発事故の被害が大きかったこともあり、直後の報道以降は栄村地震による被災地の状況や村民の状況についてほとんど報道されなかった(忘れられた被災地)。そのため、この地震そのものを知らない国民も多かったが、アンサイクロペディアの記事がネットニュースで取り上げられたことにより、ネットの多くの人に知られることとなった。
ただし、地震学的に東北地方太平洋沖地震と関連がないわけではなく、大震災の翌日に発生した内陸地震ということで、巨大地震による遠方誘発地震と見做されている。同様の直下型誘発地震はほかにも起きており、3.11から4日後の静岡県東部地震や1ヶ月後の福島県浜通り地震などがその例である。
ちなみに栄村での計測震度は6.4であり、あと少しで震度7になるところであった(ただし気象庁の推計震度分布図では実際に震度7と推定される地域がある)。もし仮に(計測震度が)あと0.1大きかったら、前日の大震災とともに2日連続で震度7の地震が発生するところであった。
揺れが激しかった栄村を中心に被害は甚大で、232棟の建物が全半壊の被害を受けたほか、村を通るJR飯山線において路盤崩落が発生、国道117号線が不通になるなど交通にも支障がでた。また、地震発生直後には秋山地区を除く全村民804世帯2042人に避難勧告が出された。幸いにも地震による直接的な死者こそ出なかったものの、その後の避難所生活による体調不良で亡くなった高齢者3人がのちに災害関連死として認定されている。
道路や農地にも大被害が出たが、豪雪地帯であるがゆえに復旧工事が進まず、本格的に復旧が始まったのは温暖な気候となった5月となってからだった。そのため震災の年には農作業が困難となり、村の中心産業である農業も壊滅的な打撃を受けたという。
2014年の地震
2014年11月22日午後10時過ぎに、富山県との県境に近い長野県北西部で発生。震源は36°41.5′N・137°53.4′E、深さ5km。長野県の小谷村・小川村・長野市で最大震度6弱の烈震を記録。
震源地の真上にあたり、被害が最大であった白馬村の震度は5強であった。しかし、震度5強とはとても思えないような甚大な被害が村内各所で発生しており、震度計のある場所以外の地域では震度6以上の激しい揺れに襲われていた可能性が高いとみられている。しかし、幸いにも死者は関連死を含めてゼロであったことから「白馬の奇跡」とも称された。
この地震の震源断層は、糸魚川・静岡構造線断層帯の北端、神城断層であると考えられている。このため長野県では、3年前の栄村の地震と区別する意味も込めて、この地震を「長野県神城断層地震」と呼んでいる。
栄村地震と同様、発災が夜間の豪雪地帯で、かつ人口の高齢化が住んでいる地域であったため、不安を余儀なくされた人も大勢いた。
関連動画
関連項目
- 栄村大震災 - アンサイクロペディア
- 長野県北部地震-Wikipedia
- 長野県北部地震とは-はてなブックマーク
- 栄村ホームページ
- 東北地方太平洋沖地震
- 長野県
- 栄村
- 長野県西部地震:1987年に長野県王滝村で発生した地震。最大震度6。
- 日本で起きた災害の一覧
関連外部リンク
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