概要
70年代後半から80年代にかけてパンク等へのアンチテーゼとして流行していったニューウェーブやオルタナティブ・ロック。その中で黒を基調として陰鬱な世界観を歌い上げた音楽ジャンルとして、ゴシック・ロックが成立し、ポピュラーカルチャーにおけるゴシックファッションをも成立させていった。
音楽ジャンルとしてはそこまでメインストリームではないながらも、最近でもThe Horrorsのようなゴシック・ロックっぽい音楽性を他の音楽ジャンルと合体させた若手バンドがそこそこヒットするなど、息の長いものとなっている。なお、パンクの後に続いたジャンルのため、ポジティブパンクとして売り出されたバンドもこれにあたる。
音楽ジャンルとしてのゴシック・ロックの特徴を、厳密な定義を無視して挙げていくと、おおよそ以下になる。The Doorsのジム・モリソンやレナード・コーエン風と形容される、なんか詩的な歌詞、抑揚のなくか細い陰鬱なボーカル、なんかうねうねしたギターリフ、正直ギターよりも主張の強いベース、早くもうるさくもないが小気味よくリズミカルに叩かれるドラム、そこそこ導入されている電子楽器、といったものである。
ちなみにジャンルとしての成立史からバンドも当初はイギリスを中心にしたものだが、アメリカやドイツ等の中欧といった地域にも飛び火したため、後の世代になると別にUKロックに限るものではなくなる。
とりあえずこの記事のスタンスについての前置き
基本方針については、ゴス層はゴス層という独立カテゴリー、ゴスの音楽カルチャーとゴシック・ロックは重なりの程度は別として別の集合、という立場で、面倒な話は触れず原義のゴシック・ロックの範疇にとどまる最大公約数的な言及のみで進める。
以下詳細な理由
正直、いくつかのめんどくさい経緯によって、一定の空気感を共有して連続性を帯びているある程度緩やかではあるもののどこかしらで他と区別されたユニークなカテゴリーという、音楽ジャンルとしての原義ゴシック・ロックについてだけを記事化しないと、火傷しかねない。ので、そういう感じで読み進めてほしい。
要するに、誤解を恐れずに言えば、臭い物に蓋をして、必要のある部分だけの範囲の記述にとどめたい、ということである。
なんでこんな七面倒くさい前置きをするかというと、ジャンルとしての発展史とは別に、1990年代後半以降、ゴスでもない外野に、「犯罪者予備軍のゴスが聴いてそうな音楽」を単に指したいだけの時に雑に使われた過去があった(この辺音楽産業の適当なプロモーションもあったのだが)。そしてそのイメージがメディアの発達もあって増幅されて、ゴシック・ロックってなんか黒服着た暗い感じのバンドでしょ?(日本の場合これに、実際はどうかは別としてゴスロリっぽいものを着た感じのボーカルが歌っているジャンルも加わる)という、割とガチめの禁句が誕生した。
具体例をあげると、ツーバスドコドコでネオクラシカルメタルみたいにチェンバロっぽい音をしたキーボードをピロピロさせてたり、逆に規則的なドラムビートがほぼなくオルガンみたいな音をしたキーボードが一番目立ってたり、正直歌詞が暗いだけで音楽性もうただの正統派なメタルとかグランジとかミクスチャーとかじゃんだったり、Cybergothの人たちがレイヴとかで腕とか足をグネグネさせながら踊ってたりする楽曲は、ゴシック・ロックと言うと結構火種になるので、そもそも触れない方がいいという感じで進める。
あと、パンクとゴスって別の集団なの?とか、エモってゴスと関係あるの?とか、ゴスってもしかしてゴスの中にも色々あるの?とか、ゴスってナードやギーグの仲間じゃないの?とか、そこらへんを議論するとめんどくさいので、この記事はゴスという集団の一部が好きなゴシック・ロックという音楽ジャンル、という話だけで進めていく。端的に言うと、よその界隈に下手に喧嘩売りたくない。
まあ、前置きが長くなったが、一番めんどくさくない最大公約数の話だけにとどめるということである。早い話、ちゃんと関連性のあるものともはや全く関係ないよね!?という二分法を基に、前者についてのみ触れるということである。
そもそもどのようにしてゴシック・ロックがゴスを生み出したのか?
上記の通り、ゴスというファッションはあまりにも雑語りされている。このため、中世ヨーロッパのゴシック様式云々というさかのぼりを行う、典型的なゴスの歴史叙述ほど、ゴシック・ロックがなぜゴスを生み出したのかという観点がかなり抜け落ちる。なので、先にここを説明する。
結論から言うと、ゴシック・ロックおよびゴスなるものを確立したこれぞという創造者はいない。ただ単に、なんかこれまでいなかったような暗そうな音楽性のバンドを、先駆的な存在に使われていたゴシック・ロックという語を当てはめて、ふんわり形容するようになったのが、その起源にすぎない。
ところが、このゴシック・ロックは、発信者と受信者がパフォーマンスを共有して双方向的なコミュニケーションを行えた。結果、ゴスってだいたいこんなもんだよな?という漠然としたイメージが全世界規模で確立した。かくして、ゴシック・ロックのファンからは毛嫌いされることも多い、1990年代の商業ゴスに影響を与えるような、ビジュアルイメージが形成されたということらしい。
詳しくは下記の歴史を追ってほしいが、ゴシック・ロックとはそもそも1970年代後半のポストパンクの音楽性の中から誕生した、ポストパンクの兄弟的な存在である。
よく引用されるのが、それ以前のThe Doorsのジム・モリソンの歌を、1967年にヒッピー文化と比較してその独自性から評論家のジム・スティックニーがゴシック・ロックと形容した言及である。原義ゴシック・ロックは、このようなVelvet Underground、デビット・ボウイ、The Doors、ブライアン・イーノ、マーク・ボラン、イギー・ポップ、Sex Pistolsの影響下から、ロックともパンクとも違う新しい音楽性を持った存在として生まれた。
これらの、ロックのようなギター主導でもなければ、パンクのようなラウドでもない、Echo & The Bunnymen、The Cure、The Sisters of Mercy、Siouxsie and the Banshees、Killing Joke、The Damnedといったバンドの最大の特徴は、みな一様に暗かった、ということである。男であれ女であれ、髪も黒ければ服も黒く、歌詞もひたすらに陰鬱であったのだ。
かくして、1978年7月に評論家のニック・ケントは、Siouxsie and the Bansheesを評して、The Doorsや初期のVelvet Undergroundのようなゴシック・ロック建築家ともいうべき存在と類似点の指摘や比較をできるようになったとしたのである。要するに、かつて、The DoorsやVelvet Undergroundのようなゴシック・ロックと表現したものと近いので、ゴシック・ロックと呼ぶのがよい、ということである。
つまり、過去のアウトサイダー的なロックスターめいた音楽性やパフォーマンスを行っているので、同様にゴシック・ロックと形容するのがよろしい、という経緯があったのではないかと思われる。
これらのゴシック・ロックに、さらに特徴的なことを追加する。Bauhausの『Bela Lugosi’s Dead』におけるピーター・マーフィーのそれに典型的な、ステージ上でのゴシックと形容しうるパフォーマンス演出、そしてBat Caveに典型的なクラブを通した、聴き手もまた同様にゴシックなパフォーマンスを楽しめる環境の整備である。
こうしたクラブにはBauhausのピーター・マーフィー、The Cureのロバート・スミス、Siouxsie and the Bansheesのスージー・スーなども訪れた。早い話カリスマ的な歌手と聴き手が双方向的にゴスとはこういうものであるというパフォーマンスを双方的に共有できたのである。
かくして、ゴシック・ロックも属するニューウェーブの人気もあって、シンセサイザーがあればこのようなアングラなバンドでも割と人気になるような時代が後押しした。こうして、NMEことニューミュージカルエクスプレスが反社的なパンクのネガティブさとは異なる芸術的でメディア寄りだった彼らを「ポジティブパンク」と1983年に打ち出したように、早い話誇大広告もあってイギリスのみならずアメリカや大陸ヨーロッパ、東側世界や第三世界も含めて、ゴシック・ロックは世界規模になっていった、ということらしい。
ざっくりした歴史
ゴシック・ロックの誕生
1970年代末、ざっくりいうとイギリスでパンクの人気がこれまでと比較した場合しぼみ始め、ポストパンクと呼ばれる新しいジャンルが新たに流行し始めた。マスメディアからは後々ポジティブパンクなどとも広告を打たれたこのジャンルは、雑に言うとパンクにディスコ、ファンクやダブなどの様々な要素を煮詰めたものであった。そのうちの一部が、見た目や自身の感情表現に、のちにゴシック、ゴスなどと定義される要素をモチーフにしたのである。
こうして、Velvet Underground、デビット・ボウイ、The Doors、ブライアン・イーノ、マーク・ボランといった、過去存在したポストパンクやグラムロックなどの影響もありながら、ゴシック・ロック第一世代が誕生した。これらのバンドの特徴は、上述の通り微細ながらもリズミカルなドラム、主張の強いベースライン、ゆがんでかつ時折メロディックになるギター、といったものである。
こうして、おおよそ1980年代前半くらいまでが主要な活動期となる、パイオニアたちがこの時期でそろった。Joy Division、Siouxsie And The Banshees、The Cure、Bauhausなどがそれにあたる。
ただし、実はこのゴシック・ロック成立において神格化されているバンドたちは、一瞬で消え去っていった存在である。1979年にデビューしたSiouxsie And The Bansheesは1983年を境ににゴシック・ロックからは離れていき、Bauhausの実質的な活動歴もほぼこれに近い。Joy Divisionも1980年のイアン・カーティスの自殺を機にかの有名なNew Orderに変わり、The Cureもゴシック・ロックに感化されて日の浅い1982年の『Pornography』を境に分裂してポップス路線に移っていくのである。
しかし、1979年までに現れたJoy Division、Siouxsie And The Banshees、Bauhausの3バンドに感化され、The Danse Society、The Sisters of Mercy、Dead or Alive、Play Dead 、The March Violets、The Lords of the New Church、The Dead Boys、Sham 69、The Damnedといった後追いや、元パンクバンドの転向が相次ぐのが1980年~1982年の間である。この流れで転向したのがUK DecayやThe Cureであり、The Cureに至っては先駆者とともに偉大な起源的存在として肩を並べるに至るのである。
ところで、こうした初期のパイオニアたちは、簡単に言うとイギリスとアメリカでツアーを行った。結果、アメリカにもデスロックが次第に根付き始めるのだが、こちらは後述する。
この時期の代表的なバンド
- Siouxsie And The Banshees
- Joy Division
- Bauhaus
- The Cure
- Killing Joke
- UK Decay
- The Southern Death Cult
- The Birthday Party
第一波ゴシック・ロック
しかし、やがて上記バンドのサウンドに新しい要素を加え、次の世代へのカリスマとなるバンドが現れた。The Sisters of Mercy、The Mission、Fields of The Nephilimなどがそれにあたる。
日本のロック音楽史において通常言及されるゴシック・ロックとは、おおよそ先の項目のポストパンクとあまり区別がつかないパイオニアたちまでなのだが、実はBat Caveなどのメッカとなったクラブを通して、最もつまるところゴシック・ロックとはどういう存在なのかを確立し、各国に広めていったのは、こちらの世代である。
実はゴシック・ロック第一波はこの世代のみなのか、上記のゴシック・ロックの古典ともいうべきJoy Division、Siouxsie And The Banshees、The Cure、Bauhausらビッグフォーともいうべき世代も含めるのかは議論がある。ただし、ゴシック・ロック第一波を確固とした定義づけをする存在をする立場からは、The Sisters of Mercy、The Mission、Fields of The Nephilimのような3大巨頭の音楽性を第一波のゴシック・ロックとしているようだ。
この区別は何から生じるかというと、ゴシック・ロックはポストパンクの一部でしかないのか、独自の音楽ジャンルとして確立したのかの境目である。つまり、この3バンドの出てきた時期あたりから、ゴシック・ロックは独自の他と区別された音楽ジャンルとなった、というのはおおよその見解の一致がみられるのである。
概説史的な話に戻ろう。The Sisters of Mercyの結成は実は1980年であり、彼らは1983年にはアメリカツアーを行うほどの人気だった。このThe Sisters of Mercyが、おおよそ1980年代半ばに初期のパイオニアたちが消えると入れ替わるように一度求心性を帯びたのが、第一波の前史となる。
確かに、ゴシック・ロックは初期のパイオニアたちが消えていった1982年~1983年の間にも、Sex Gang Children、 Cocteau Twins、The Southern Death Cult、Skeletal Family、Specimen、Gene Loves Jezebel、Alien Sex Fiendといったバンドの結成が相次いだのだ。のだが、実はこれらの後進たちもおおよそ1980年代半ばに消えていき、実は1980年代半ばとは、The Sisters of Mercyと、あとはBalaam and the Angel、The Rose of Avalanche、Nervous Choirといったあまり歴史に名前を残していないバンドくらいしかいなかった時期である。
ここに至るまでに黎明期の残党たちも、音楽性を変えて大衆受けに向かっていった。The Southern Death Cultが音楽性を変化させつつThe Cultになって大当たりし、The Cureも脱ゴシックが本格化するのは前述の通りである。Gene Loves JezebelとXmal Deutschlandが合わさった結果誕生したのがAll About Eveであったのだが、このバンドも次第に脱ゴシックする。また、Dead or Aliveもディスコ調の楽曲になったのだ。
なお、このゴシック・ロックのバンドとしてデビューしたけど、あっけなく脱ゴシックして独自の境地に達した最たる例が、Cocteau Twinsである。彼らはニューウェーブの時代にドリーム・ポップと呼ばれる新トレンドの一翼を担い、シューゲイザーの成立につながっていく。
とはいえ、1985年にThe Sisters of Mercyがいろいろあって解散する。ただし、そのうち一部のメンバーが最終的にThe Missionを結成した。それとは別に、Fields of the Nephilimが最初のアルバム『Dawnrazor』を発表するのが1987年である。さらに同年The Sisters of Mercyも結局再結成して『Floodland』を発表し、The Missionも『God's Own Medicine』をリリースする。
こうして、1980年代後半にこの3バンドが出そろったことで、第一波→第二波の移行が展開されたと言われている。この3バンドなどの影響を受け、いわゆる第二波のゴシック・ロックへと移っていく。
この時期の代表的なバンド
- The Sisters of Mercy
- The Mission
- Fields of The Nephilim
- The March Violet
- Red Lolly Yellow Lolly
- Ghost Dance
- All About Eve
第ニ波ゴシック・ロック
かくして、1980年代後半に浮上したファッションリーダーたちに煽られ、ゴシック・ロックが復活の兆しを見せていった。この新しい世代は、主にThe Sisters of Mercy、The Mission、Fields of The Nephilimなどの影響を受けながら、新たな要素を付け加えていった。
この要素として、まずメロディーは、ギターリフやボーカルがより強まり、バックではしばしば女性のボーカルが補われるようになる。また、シンセサイザーが加わり、ベースラインはさらに主張が強くなり、ドラムマシンの放つビートもまた重いものとなっていった。見た目もただの黒服を着ていた前世代に比べると、ヴァンパイアなどのより世界観を確立させる方向に向かい、おしなべて言えばなんか主張が強くなってきているのである。
上記の通り1987年に第一波を完成させた3バンドが出そろい、これらが新たなリーダーとなった。加えて、1989年にThe Cureがゴシック・ロック路線にある程度回帰した『Disintegration』をリリースしたことも追い風となり、ゴシック・ロックってやっぱりかっこいいじゃんという空気感が出てきたのである。
ただし、それはファンの間であり、周知の通り1980年代後半~1990年代の流行の音楽性からは外れたところにあり、ほとんどアンダーグラウンドで起こっていたことである。
The Sisters of Mercyの『Vision Thing』、Fields of The Nephilimの『Elizium』に端を発するとされるこの世代であるが、1990年代初頭までに第一波の古典ともいうべき存在に比肩するバンドも出そろっていく。Nosferatu、Rosetta Stone、Garden of Delight、Love Like Bloodなどがそれである。
しかし、この段階で旧世代の第一波を完成させたリーダーたちは消えていった。The Missionは1990年の『Carved in Sand』で脱ゴシックし、1992年にはFields of The Nephilimも解散。The Sisters of Mercyも『Under the Gun』を境に脱ゴシックしたのがこの1992年である。
一方、このことは逆に、次世代への引継ぎが始まるということでもある。こうして、The Wake、The Merry Thoughts、Dreadfull Shadowsなどの、第三波のあこがれともいうべき新しいファッションリーダーになるバンドが出そろい、次の時代に移っていく。
のだが、この時期とてつもなくややこしいことが起こる。ゴシック、ゴスはもう完全に一種のファッション、モードとなり、ゴシック・ロックと無関係なゴシックな音楽ジャンルが複数出そろっていることである。この典型例がインダストリアルやEBMであり、ゴシック・ロックもまた、こうした電子音楽的な性格と、インターネットが展開するイメージの拡散に影響されていくのである。
この時期の代表的なバンド
- Rosetta Stone
- Nosferatu
- Garden of Delight
- Love Like Blood
- The Wake
- The Merry Thoughts
- Children on Stun
- Funhouse
- Dronning Maud Land
- Dreadfull Shadows
- Another Tale
- Bay Laurel
- Big Erectric Cat
- Medicine Lain
第三波ゴシック・ロック
この第三波の世代に属するバンドは、実はほとんど第二波の1990年代にデビューをしている。だが、おおよそ目立った活躍をし始めるのは2000年代になってからである。ただし、ぶっちゃけると、音楽性に第一波や第二波のような目立った変化はなく、インダストリアルなどの影響があるなどを添えられる程度である。
この世代に属するのが、Elusive、Malaise、Dawn of Oblivion、Star Industry、NFD、Reptyleといったバンドである。しかし、正直に言うと、この時代はこれらのバンドの代表曲を列挙するくらいしかできない。明らかにゴスに属する層は、すでにゴシック・ロックから離れて、インダストリアルやメタルの方に関心を移していった。この中で、ゴシック・ロックのファンたちは、古典的なバンドに回帰していき、第四波ともリバイバルともいえる新しい世代に移っていく。
この時期の代表的なバンド
- Elusive
- Malaise
- Star Industry
- NFD
- Dawn of Oblivion
- Reptyle
- The Daughters of Bristol
- Golden Apes
- Solemn Novena
- Snakedance
- Grooving In Green
- Merciful Nuns
- The Eden House
- Soror dolorosa
- Dreamtime
- Angel of Liberty
- Terminal Gods
アメリカのゴシック・ロック
ゴシック・ロックファンの中でもかなりめんどくさい問題の一つとして、アメリカでゴシック・ロックっぽいことをやっているとされているデスロックは、ゴシック・ロックと同じ音楽性なのかどうかというものがある。要するにパンクが衰退しつつあるから新しいことをやろう、という発想は同じなのだが、このデスロックに括られるのは別の音楽性と混ざりあったかなりガラパゴスな存在なのである。
この、デスロックってゴシック・ロックなの問題は、デスロックのパイオニアたち側からも、俺たちパンク真っ盛りの南カルフォルニアの一部のはねっかえりが新しいことしようとしてただけで、勝手になんか同類扱いされて困った、とか思っている。ので、少なくともデスロックは同時代的に起きた似たような土壌から発生した別の動向、とまで言っていいと思う。
ただし、これに輪をかけて話をややこしくするのが、デスロック側にも、前述の通りポストパンクやゴシック・ロックのバンドがアメリカにも影響を及ぼし、俺たち同じことやりたいんだ!と明らかに同じことをやりだす動きが1980年代に入って一部に出てくることである。
このように、デスロックってつまるところ何?問題はかなりややこしい。ので、あくまでもデスロックの歴史をゴシック・ロック側の視点から見た、かなり駆け足のものでまとめる。
まず、デスロックの流れは当初は東海岸のロサンゼルス地域で起こった。ただし、たとえばこの初期の1980年代前半のバンドの中でも、45 Grave、The Flesh Eaters、TSOLはホラー・パンクめいた見た目重視である一方で、同じ時期に出てきたChristian Death、Super Heroines、voodoo Church、Theater of Ice、Kommunity FK、13.13といったバンドは明らかにUKロックのゴシック・ロックの系譜にあるという大きな違いがある。
この1980年代前半のアメリカのデスロックのうち、後者を象徴するのがSex Gang ChildrenとChristian Deathである。そして、これ以降の後進は、前者と後者の両方をミックスさせていく。 こうしたバンドが、Gargoyle Sox、Mephisto Walz、Screams for Tina、Requiem in Whiteといった具合に、1980年代後半にデビューして行くのである。
一方、デスロックは1985年にニューヨークなど西海岸に波及し、The Naked and the Dead、Of a Mesh、Fahrenheit 451らもデビューしていく。ただし、彼らにしてもヨーロッパのゴシック・ロックとアメリカ側のデスロックの双方を混ぜていったような音楽性であったのだ。
しかし、アメリカも1990年代までこの様々な音楽性が混ざり合ったデスロックのムーブメントを続けていく。1990年代までには、Red Temple Spirits、Death Ride 69、Autumn Cathedral、Ex-Voto、The Wake、London After Midnight、The Shroud、The Prophetess、Blade Fetish 、Judith、Mors Syphilitica 、Shadow Projectといったように、第二波ゴシック・ロックと歩みを同じくするバンドが多く生まれた。
のだが、彼らにしても相変わらず雑多な存在をくくっていた。例えば、これまたゴシック・ロックとみなすかどうかややこしい、イギリスで言うところのCocteau Twinsのような、エテーラル・ウェーブに近い音楽をやっている存在も多い。Faith and the MuseやThe Moorsのようにワールドミュージックとの間の子みたいなバンドも存在した。
とはいえ、1990年代半ばくらいまでは Sunshine Blind、The Deep Eynde、Stone 588、Black Atmosphere、Praise of Folly、Autumn、The Last Dance、Ninth Circleがデビューし、London After Midnightが大躍進も遂げていく。ところが、ヨーロッパ側と同様に、インダストリアルなどの勃興でしぼむ。
以後Cinema Strange、Diva Destruction、The Drowning Seasonといった第三波ゴシック・ロックのくくりで言及されるバンドが数点あげられる程度だった。これが、ゴシック・ロック側からみた2000年代のデスロックであった。
ただし、デスロック側から見ると、1998年~2004年というのが、第一次リバイバルムーブメントがあった時期にあたる。なので、正直ゴシック・ロックの第三波、第四波の分水嶺があまり機能しない気はする。
さらに、2010年代、第二次リバイバルムーブメントが起きる。このくくりに入るのが、Fangs on Fur、Rule of Thirds、Crimson Scarlet、Blue Cross、Catholic Spitらである。これ以降も、DETOXI、Rosegarden Funeral Party、Vueltas、New Skeletal Faces、Mystic Priestess、Altar De Fey、Vision of the Void、Peers On Pyres、さらにはスペインのDESENTERRADAS、日本のNEHANN、イギリスのPeers On Pyresあたりもデスロックの文脈におかれる。
代表的なバンド
上述の通り、デスロックってゴシック・ロックなの問題があるので異論は認める。
- 45 Grave
- Christian Death
- Sex Gang Children
- Mephisto Walz
- Requiem in White
- Mors Syphilitica
- This Ascension
- Trance to the Sun
- Faith and the Muse
- London After Midnight
- Cinema Strange
- Diva Destruction
ドイツ語圏のゴシック・ロック
西ドイツに関しては正直1979年というイギリスとほぼ同時期に似たような傾向が始まる。Geisterfahrer、Leningrad Sandwich、Belfegore、Asmodi Bizarr、Marquee Moon、Calling Dead Red Roses、Remain in Silenceといったバンドの結成が相次ぐ。特筆すべきが1980年結成のXmal Deutschlandで、彼らはぶっちゃけ総本山であるイギリスでも流行っていたのである。
ただし、西ドイツに関しては、第一波は一瞬でしぼんでしまい、Taste of DecayとMaskというBauhausフォロワーや、Voices of Stille、Arts & Decay、the Girls Under Glassといったわずかなバンドしか名前を挙げることができない。
その流れが変わるのが第二波ゴシック・ロックの影響が及んだ1989年以降である。Eyes of the Nightmare Jungle、Love Like Blood、Sweet William、Catastrophe Ballet、The Tors of Dartmoor、Garden of Delight、Still Patient?、Moon Child、Dronning Maud Land、The Merry Thoughts、Swans of Avon、The House of Usher、Head on Fire、The Hall of Soulsといった第二波ゴシック・ロックに属するバンドが多く登場する。
のだが、他地域と同様に第三波ゴシック・ロックごろには再度しぼんでしまい、東西統一後にはLady Besery's Garden、Morbid Poetry、Fallen Apart、Capital Hell 、Vermillion Fieldsらが挙げられる程度である。オーストリアやスイスまで含めてもKiss the Blade、Whispers in the Shadow、After Darknessくらいの名前が挙げられる程度である。
しかし、ドイツ語圏に関して言えば、確かに2000年代はBeyond the Wall of SleepやRock at a Dead Placeといったバンドがデビューした程度だった。のだが、後述する第四波の歩みを同じくし始めており、 ZaderaやBloody Dead and Sexyといったバンドのポストパンクルーツの探求の後、Merciful Nuns、Salvation AMP、Aeon Sableといった2010年代の代表的なバンドが出そろっていくのである。
代表的なバンド
ロマンス語圏のゴシック・ロック
ロマンス語地域では、ゴシック・ロックの影響は確かにあったのだが、他の地域に比べてこうしたバンドはアンダーグラウンドのインディーズレーベルにとどまっている。
例えばフランスでは1980年代にDanse Macabre、Leitmotiv、Odessa、Neva、Les Enfants de l'Ombre、 Passions Mortellesらがデビューしていく。
しかし、フランスに特筆すべきことはニューウェーブの一環として展開していたCold Wave(コールド・ウェーブ)との合流である。 Lucie Cries、 Corpus Delicti、Dead Souls Rising、The Brotherhood of Pagans、Jacquyといったバンドの名前が挙げられ、特にCorpus Delicti、Jacquyは世界的な成功も得ている。
この文脈外のバンドにはLand of Passion、Lacrima Necromanzia、Violet Stigmata、Eat Your Make-Up、Soror Dolorosaらが挙げられ、最近でもゴシック・ロックぽいことがフランスでも行われている。
イタリアも1980年代前半には歩みを同じくしている。ただし、イタリアは正直バンドの名前を列挙することくらいしかできない。イタリアのバンドとしては、Deafear、Carillon del Dolore 、The Dead Relatives、The Art of Waiting、Limbo、Symbiosi、Il Giardino Violetto、the Spiritual Bats、Lacrime di Cera、Ermeneuma、Holylore、the Burning Gates、Avant-Garde、Chants of Maldoror、Vidi Aquam、Bohémien、Human Disease、Le Vene di Lucretia、Echoes of Silenceらが知られている。
スペインは正直言うと、パンクロックの発展形としてゴシック・ロックを吸収しようとした。Dead Kennedys、The Cramps、The Birthday Party、Sangre Cristiana、Parálisis Permanente、Desechables、Los Seres Vacios、 El Último Eslabón、Otras Voces、La 5ª Civilizacion、La Casa Usher といったバンドが知られている。のだが、彼らはアルバムを出せればいいほうであり、多くはヴァイナルでシングルが出せるか出せないかくらいの小規模なものであった。
ところが1988年にレコード会社Grabaciones Goticasが設立される。これをきっかけにして、確かに明らかに商業ゴスのバンドではあったものの、先駆的なスペインのゴシック・ロックバンドをある程度リスペクトしていたGothic Sexなどが1990年代半ばにデビューしてく。こうして、他の地域とは対照的におおよそ1990年代半ばにようやく、ゴシック・ロックとはこういうものだというのが確立したのである。この結果La Guillotinaといった第二波ゴシック・ロックに傾倒したバンドが現れる。
のだが、こうして伸びるかに見えたスペインのゴシック・ロックであったが、音楽産業自体が斜陽になり、Extremauncionが第三波ゴシック・ロックのバンドとして挙げられるくらいになってしまった。ただし、他の地域同様2000年代後半に復権を遂げ、Los Humillados、Belgrado、Sectらの躍進や、Parálisis Permanenteの復活などが相次いでいる。
代表的なバンド
北欧のゴシック・ロック
北欧でもMusta Paraati、Geisha、Hexenhaus、Fra Lippo Lippi、Garden of Delight(前述のバンドとは別の存在)など、1980年代にゴシック・ロックの影響を受けた。第二波ゴシック・ロックの時代にもDorian Gray、Russian Love、Two Witches、Dancing Golem、Sad Parade、Varjo、The Shadow Dance、The Candles Burning Blue、Suruaika、Dreamtimeらが出ていく。しかし、実は逆にこの地域で活発になるのは第三波ゴシック・ロックの時代である。
こうしたバンドとして、The Solar Lodge、Funhouse、The Preachers of Neverland、Catherines Cathedral、Medicine Rain, Sons of Neverland、Malaise、The Misled、Imaginary Walls、Dr. Arthur Krausらの名前が挙げられる。
なお、北欧と言いつつもこの動向はほぼフィンランドとスウェーデンに偏っている。逆に、デンマークやノルウェーではほとんど動きが見られないなど、メタルのようにあゆみは同じくしていないようである。ただし、後述の通り第四波にノルウェーのバンドの名前もあがっているので、ゼロではないとは思われる。
代表的なバンド
その他英語圏のゴシック・ロック
なお、当然おおよそ英語圏であるオーストラリア、ニュージーランド、南アフリカなども影響を受けるので、ここに記載しておく。
オーストラリアでは Ducks in Formation、Dorian Gray、Gravity Pirates、Toys Went Berserk、Murder Murder Suicide、I Spartacusといったバンドが1980年代に先駆的に結成されていく。のだが、実は全盛期は1990年代に入ってからであり、Lemon Avenue、Ikon、Big Electric Catらが登場するのがだいたいこの時期である。
さらにレーベルの成立によって若手育成が進み、Subterfuge、Meridian 、Leviathan、Love Lies Bleeding、Disjecta Membra(ただしニュージーランドも活動圏)などが登場していく。
ただし、正直オーストラリアに関してはだいたいアメリカのデスロックみたいなことになっている。Ostia 、Scissor Prettyのようなエテーラル・ウェーブ系、The Mark of Cain、Hard Candy、Melange、The Redresser、This Gentle Flowのようなガレージパンクやオルタナティブとの間の子などさまざまな音楽性である。 また、最近では13 BatsとAsceticが知られる。
一方、ニュージーランドはより小規模であったものの、UKロックの正統派ゴシック・ロックに傾倒した。Danse Macabre、The Pin Group、Sons in Jeopardy、Burnt Weeping Eyes、Reserved for Emily、Winterlandといった小規模な正統派ゴシック・ロックのバンドが点在する。
一方、南アフリカでも1980年代からDog Detachmentといったポストパンクに傾倒したバンドはいたものの、ジャンル自体はせいぜい1980年代後半くらいが往時である。No Friends of Harry、The Gathering、 The Awakening、The Attic Muse、The Autumn Ritual、The Death Flowers of Nocypher、Penguins in Bondageといったバンドが知られている。
正直いわゆる第四波ゴシック・ロックにおいても南アフリカはあまりぱっとせず、The Awakening(前世紀の南アフリカのバンドと同名なだけの別の存在)、The Eternal Chapter、Descendants of Cainなどのバンドは正直短命に終わっている。
代表的なバンド
最近のゴシック・ロック
2000年代後半から2010年代くらいのゴシック・ロックのバンドを、第四波などと公式に定義づけることはまだされていない。しかし、端的に特徴を言えば、この世代の行っていることは古典への回帰である。ただし、これらのバンドは、その後のポストパンクなどの発展も取り込んでいき、旧世代と最近の音楽をうまいこと合わせて、新しいゴシック・ロックのファン獲得を目指しているのである。
まず、ポストパンクの復活の兆候が見られ始めたのは、2000年代初頭にオルタナティブやインディーロックに属する一部のメジャーなバンドが以下のような特徴を見せ始めたことである。例えば1980年代に回帰したかのような、深く怒るようなボーカル、ジャングルさせたようなギターリフ、激しいベースラインといった、明らかにこのポストパンク的なサウンドを志向し始めたのだ。これらに属する存在として、The Killers、The Bravery、Yeah Yeah Yeah’s、Interpolなどのバンドが挙げられる。
確かに、上記の通り、2000年代はゴシック・ロックというジャンルにおいては、Cinema Strange、Elusive、Phantom Visionといったバンド自体は活動していた。しかし、ゴス文化のメインストリーム的には、ダーク・エレクトロやシンセポップ、EBMなどの影響された、エレクトロ・ゴスが、インダストリアルやエレクトロ・インダストリアルといったジャンルとともに、ゴス系のクラブでもメインとされていた時期である。
とはいえ、インターネットの発展で、クラブではなくネットサーフィンを通じて、ゴス文化の起源に触れていく若い世代も現れ始めた。
これに、2000年代のゴシック・ロックのバンドは、旧来のゴシック・ロックとあまり変わり映えのしないサウンドであることも作用した。つまり、若い世代も含めて、YouTubeやダウンロード音源で、なんか似たような1980年代~1990年代の開祖的な音楽を聴きあさっていったのだ。こうして、徐々にデスロックなども含めて、じわじわとリバイバルが起き始めていったのである。
こうして、ポストパンクを復権させようとした上記バンドと、古典ゴシック・ロックを聴き漁っていた若い世代のゴス層が合流した。結果、ゴシック・ロックの新世代が、このポストパンク復権の流れに加わってデビューをし始めた。
その最たる例が、2008年デビューのブラジルのPlastique Noirである。このバンドの音楽的特徴は明らかに古典的なポストパンクやダーク・ウェーブに近しい存在であった。また、本人たちがゴシック・ロックであるかどうかは別として、この運動の中でアメリカのShe Wants Revengeは、ゴシック・ロックの復権に大いに貢献するパフォーマンスを行っていった。例えば、ミュージックビデオの中でゴスの中では古典的な1980年代の映画である『The Hunger』をモチーフするなどである。
こうした流れは、ぶっちゃけると2010年代にニューウェーブがSynthwaveとなってリバイバルされたように、昔のジャンルを現代の技術でリブートしたらどうなるかというありきたりな発想である(なお、ゴス方面でこの流れに位置付けられる存在でもCold CaveやPhosphorなどが挙げられる)。のだが、そのような1980年代文化の復権の前段階の一つが、ここまで見てきた流れである。つまり、早い話人気がない時期にアングラでまず起こった最初の一打に位置付けられるのである。
こうした流れを受けて、この動向の音楽性の典型的なバンドである、トルコのShe Past AwayやイギリスのAngels Of Liberty、Lebanon Hanover、ギリシャのSelofan、フランスでMinuit MachineやHanteをプロデュースするヘレネ・ドゥ・トゥーリ、イタリアのWinter Severity Indexなどが、2010年代に出てくる。
一方、こうした波はより典型的な正統派ゴシック・ロックのバンドも生み出していき、アメリカのSonsombre、The Rope、イギリスのKILL SHELTER、ドイツのAeon Sable、Wisborg、Dryland、フランスのHuman、JE T' AIME、ギリシャのAngel's Arcana、ノルウェーのLong Night、ブラジルのTomb of Loveといったバンドも出てきた。
総括すると、この手の新世代のゴシック・ロックというのは、環境整備の恩恵が大きい。つまり、インターネットの普及などで、昔はクラブやレコード店などのつてで情報を集めるしかなかった状態から、家にいながらいくらでもジャンルの情報を漁れる状態になったのが大きく起因したのだ。
おまけに、こうした楽曲は、ゴス層に受けたというよりも、ゴスと無関係にこの手の音楽にハマった層にもウケているようである。付け加えると、バンド側もそのようであり、ぶっちゃけると、これらのバンドの中には自分の音楽表現のみをゴスとしているに過ぎない存在も多い。
この時期の代表的なバンド
- Plastique Noir
- She Past Away
- Angels Of Liberty
- Lebanon Hanover
- Selofan
- Minuit Machine
- Hante
- Winter Severity Index
- Sonsombre
- The Rope
- KILL SHELTER
- Aeon Sable
- Wisborg
- Dryland
- Human
- JE T' AIME
- Angel's Arcana
- Long Night
- Tomb of Love
旧ソ連圏のうちロシアのゴシック・ロック
少なくとも、1980年代に、昨今のRussian Doomer Musicでも引用されるような、レニングラードのКиноといった、明らかに西側世界のポストパンクやゴシック・ロックに近い音楽性を持ったカリスマ的バンドが存在したのは事実である。これに比する存在として、Зву́ки Му、 Объект Насмешек、Кофеといったアーティストなどもいた。つまり、はっきり言って西側世界と同様に、ゴシック・ロックめいたことを行う存在は東側世界にも同時期に確かにいたのである。
そして、こうした東側世界では、西側世界よりも早く、1990年代にはポストパンクの復権が起きていた。A Certain Ratio、Joy Division、Happy Mondaysのようなサウンドが好まれ、Дурное Влияниеといったアーティストが出てきていたのである。
かくして、1990年代半ばには、ロシアなどでもゴシック文化が確固とした存在として確立した。世紀が変わるころには西側のように音楽性で分かれていく。たとえば、Purple Fog Sideのようなインダストリアル路線、Missionaries from the Outsideのようなコテコテの見た目を固めるバンド、Children of the Gunのような伝統的なゴシック・ロック路線と様々なジャンルに分裂していったのである。
若手で、1980年代チックなポストパンクめいたゴシック・ロックに近いことをバンドには、Human Tetris、Monoplan、Giant Waves、Raven Said、Сумеречный Сад、The Quinsy、Конец Электроники、Witch will Die Tomorrow、Облако – Корниなど様々に存在する。正直なところ東側世界のほうにも、西側世界ではノスタルジックに映る音楽が同様に多く存在したのである。
その結果が、西側世界で勝手にこれらのバンドを輸入したRussian Doomer Musicの勃興につながる。
ロシア以外の旧ソ連圏のゴシック・ロック
なお、歴史をまとめる能力がないのだが、ざっくり他の東欧圏に目を向けると、例えばポーランドやチェコ、スロヴァキアはCold WaveやMinimal Waveが流行っていただの、ユーゴスラヴィアでは1980年代に同じようにBorghesia、Parafなどポストパンク音楽が流行っていただの、といった具合にぶっちゃけ西欧とほぼ歩みを同じくしていたのは、ロシア地域とも共通している。
たとえば、ポーランドにはCold Waveを意味するZimna Falaという音楽ジャンルが、ポストパンクの時代に流行っていた。Siekiera、1984といったバンドが知られているが、この背景にはロックフェスなどを通じた共産党政権への若者の反抗もある程度あったことは否定できず、実際ソ連崩壊後少しずつジャンル自体衰えていく。
他にも、この地域でよく知られたムーブメントが、Ivanov Downなどのバンドが知られている、ウクライナのНовая сцена(Novaya Scena)である。キーウとハリコフのバンドが、ヴァレンティン・シルヴェストロフのような現代音楽と、ロックを合わせようとした、という1990年代に一瞬流行したジャンルである。この時彼らが参考にしたロックというのが、思いっきりゴシック・ロックを筆頭にした1980年代チックなニューウェーブであり、明らかに同じような系統の音楽であった。
ということで、はっきり言って、ロシアにも東欧にも、同時代に思いきり同じようなゴシック・ロックみたいな楽曲が流行っていた。ただし、ロシアと違い東欧地域の1980年代チックな楽曲はあまり西側世界で現在発掘されている等はなく、ややマイナーな扱いになっている。
とはいえ、ポーランドはいまだにZimna Falaを頑張って継承させているし、ルーマニアでは1990年代以降にもポストパンクの系譜の完全なゴシック・ロックをやっているバンドも多く出ている。ハンガリーのNosztalgia DirektívaやクロアチアのMaria Loves Meなど、今世紀デビューの若手もいるため、正直英語圏で調べられていないだけで実は結構な金の鉱脈なのが東欧の当該ジャンルだったりする。
第三世界のゴシック・ロック
一般的なイメージとしてはゴス文化は19世紀イギリスのゴシックリヴァイヴァルに起因するように、本来はキリスト教文化と大きく結びついたものとされている。しかし、世界的に動きが広がった結果、誤解を恐れずに言えば白人文化圏以外にも広まった。
なお、ニコニコ大百科という日本語のサイトなので、日本のゴシック・ロックについてはまとめてトピック化し、筆者の能力で把握できている第3世界のゴシック・ロックを紹介していく。
ラテンアメリカのゴシック・ロック
ラテンアメリカにとってゴスとは、例えばメキシコのディア・デ・ロス・ムエルトスに象徴されるキリスト教文化と土着の民間信仰の混ざり合った伝統的な文化と、良くも悪くもアメリカ合衆国の周辺部に位置する何とも言えない社会経済的不安定さの抑圧からの解放という、2つの背景によって広まったと言われている。
こうした結果この地域には古くからゴシック・ロックのバンドも広範に存在しており、Arte No Escuro、The Tears Of Blood、Lupercais、Euroshima、Fricción、Art Nouveau、La Sobrecarga、Septima Sima、La Devociónなど様々に知られている。
しかし、どちらかというとこの地域のゴス層は、欧米におけるパンクファッションのように、社会的抵抗の一環としてゴスというファッションを選択している傾向がある。つまり、確かにアジア圏と違って、イギリスに端を発するゴシック・ロックと同じ土壌で同じように影響されたという意味では、アメリカやイギリス以外のヨーロッパとも近しいのだが、彼らにとってのゴスは、少しとらえ方が異なっているのかもしれない。
アジアのゴシック・ロック
この辺の地域のゴス文化圏は韓国、台湾、タイ、ベトナムなど種々ある。のだが、正直日本と異なりゴシック・ロックの影響でゴス層形成が始まったというよりは、ゴスというビジュアルを伴った文化と、日本風のゴシック&ロリータめいたゴスとは微妙に違う層の文化の、両方が着弾してファッションの一環として根付いた印象がある。
つまるところ、彼らにとってゴスとはゴシック・ロックとはほぼ無関係のものであるようなのだ。
タイやベトナムについてはよく調べられなかったので、お隣である韓国を例に挙げたい。韓国にゴスが波及したのは、1990年代ごろとされており、日本を含めた資本主義文化圏に同時多発的に影響が及んだのとは時間差がある。この結果、例えば初期にゴスムーブメントの中心にいたRainy Sunなどが言及しているように、韓国はオルタナティブ・ロックなどへのアンチテーゼとしてゴス文化を受容し、ポストパンクのムーブメントであった他の地域とは異なる様相を呈した。
つまり、韓国の場合、日本以上にゴシック・ロックなしでゴスが成立しているということである。というか、KPOPアーティストがビジュアル表現的にゴスを取り入れることまでも、ゴスのムーブメントとしているレベルで、日本と同程度には一部のゴスだけのイメージを増幅している気配がある。
正直、韓国にとってゴスのバンド音楽とは、Ophelia、Oathean、Dark Mirror Ov Tragedyなどのブラックメタルなどのバンドがもっぱらであり、例えば検索して出てくるa doomなんかもHIMやType O Negativeのようなと形容されているように、音楽性は全く違う。
ただし、International Badboys Inc.というもろに当てはまるバンドがいるので、韓国に原義通りのゴシック・ロックバンド自体は存在する。 とはいえ、bandcampを拠点にしている2020年代に活動し始めたバンドという点から、このバンドは韓国のゴス文化の文脈ではなく、前述の第四波に関連したアーティストと言いきっていいと思う。
ちなみに、ネットでポストパンクの韓国アーティストとして発掘されアンダーグラウンドでそこそこ知名度がある存在として、1987年にリリースされたという情報がある程度の、현애(Hyone)の『폭발1초전』というアルバムが存在する。この、韓国語圏にすらろくに情報がないアーティストであるが、おそらくすでに各所で指摘されているように、間違いなくかの有名なポンチャック・ディスコの一種である(なので実はポンチャックってニューウェーブじゃね?と、かつて日本で行われたことと似たようなことが起きると、その一派からゴシック・ロックっぽいことをするアーティストも韓国に出るのではないかと思わなくもない)。
一方、一応は共産主義陣営であった中国は、周知の通り1980年代ごろから摇滚(yaogun)ムーブメントなどを通してようやくロック文化を受容した。ただし、天安門事件などもあって、1990年代にロック音楽はアンダーグラウンドに沈み、『黒夢』をリリースした竇唯や、その妻でCocteau Twinsのカバーなども行った王菲(『Eyes on Me』を歌ったまさにあの人)の『恋のパズル(迷)』などが初期のゴスムーブメントの代表例として知られる。
しかし、中国でようやく若者たちが情報を手に入れられるようになったのは、周知の通りインターネットの発達が原因である。この結果例えば、マイケル・ペティスが主導するポストパンクやニューウェーブ的な音楽を発信するMaybe Marsというレーベルが北京にできるなど、21世紀になってようやく西欧の大衆音楽を合法的であれ非合法的であれ多くの一般人が普通に受容できるようになったのである。
ということなので、中国は、ここ10年前後で、北京を中心としたインディーズシーンに、ポストパンクやニューウェーブ、シューゲイザーなどの1980年代UKロックみたいなアーティストが大量に出現している。
それぞれの音楽性は個々に見ていけないが、Re-TROS、Illusion Division by the Hand、Streets Kill Strange Animals、24 Hours、Carsick Cars、White、Snapline、The Gar、Joyside、P.K.14、The Fallacy、HedgeHog、The Yours、UNiXX、Dear Eloise、AV Okubo、Ourself Beside Me、Pet Conspiracy、Nova Heart、Queen Sea Big Shark、Birdstriking、Self Party、Fading Horizon、Hot and Cold、新裤子、吹万、Battle Cattle、Lowspirit、8 Eye Spy、Rank Moist Vegetation、Stalin Gardens、Mr. Rayといった具合に、Maybe Mars系のポストパンク的なアーティストがごちゃっといる。
ただし、中国の場合はあまりにもバンド活動自体がアンダーグラウンドすぎるのと、あまりゴス層がいない(どちらかというと日本風のゴシック&ロリータの中華風アレンジという受容)点から、ポストパンクがこんだけ脈々と流行ってるならどこかにはゴシック・ロックを細々とやっている人もいるんだろうな、めいたオチになってしまう。ていうか見つけられなかった。
日本のゴシック・ロック
当然、このような世界的な人気がある中で、日本にもゴシック・ロックのムーブメントが着弾した。なお、1980年代のポジティブパンク史はある程度集積があるが、通史的な記述を誰も行ってこなかったので、かなり雑多な語りになっているのは先に断りを入れさせていただく。
なお、日本のゴシック・ロック特有のかなりめんどくさい問題がある。これは、イギリスにおいて一瞬マスコミが使った程度の、ポジティブパンクという呼称を自分たちのアイデンティティにした状態で、その後歴史が進んだ、というものだ。おまけにこのポジティブパンクもなんか定義がふわっとした状態でBUCK-TICKや名古屋系がその末裔だめいた論調もあり、結局この辺どうなのか本人たちもわかっていない気がする。
また、日本のオタクどころか欧米のオタクすら、黒服着ただけのバンドやゴスロリっぽい服着ただけの二次元キャラのユニットを適当にゴシック・ロック呼びしてしまっているのも、めんどくさい問題である。さらに、Wikipediaやそこら辺の勝手にタグ付けられる音楽サイトで、孫引きの孫引きを繰り返し続けてるウロボロスみたいなことが起きている点も、輪をかけて話をややこしくしている。
とはいえ、実は海外ゴス層が1980年代ポジティブパンクに異常に詳しく、AUTO-MODから†13th Moon†やNEHANNに続く動向の素描は、ある程度英語圏ベースで把握できなくもない。のだが、実は彼らにしても曲単位でディグってるだけで、実際に日本語圏でバンド単位など見ていくとそいつらはポジティブパンクじゃなくない?、みたいなのも多い。
なので、両世界の情報をいい感じに取捨選択しながら、大まかな素描を見ていく。
ポジティブパンクの時代
まず、日本においては1980年代のインディーズシーンとは、THE WILLARD、LAUGHIN' NOSE、有頂天などのインディーズ御三家などの方がよっぽど主流であるのは自明である。つまり、日本音楽史においてもこの歴史は誰も正確にまとめてないレベルで、脇の脇みたいな存在である。ということなので、確かにゴシック・ロックは後世ヴィジュアル系に影響を及ぼすだの元祖ヴィジュアル系だの言われることもあるのだが、ヴィジュアル系史において彼らが果たした役割がどの程度あるのかは見解の一致を全く見ない。
ただし、日本においてその立役者となった人物として、以下の2人がいる。この頃渡英していてBauhausを見て感銘を受けた、のちのAUTO-MODのボーカルとなるGENET、およびナゴムギャルの対抗陣営となるひとつのトランスギャルを生み出していく、TRANS RECORDS(トランス・レコード)の設立者ことイギリス系の音楽を受容していた北村昌士の両名である。
ただし、GENETは21世紀に入ってもずっと言い続けているように、本人としてはポジティブパンクをやっているのであって、ゴシック・ロックをやっているつもりは全くなかった。のだが、鳴かず飛ばずのAUTO-MODは1983年に数年後の解散を宣言して、その下準備としてWechselbalg Syndicate(いわゆるヴェルセルバルク)と呼ばれるレーベルを設立した。ここに、GENETに共鳴するアーティストたちを所属させて囲ったのである。
かくして、彼らは1984年に『時の葬列』と呼ばれる所属アーティストたちのコンピレーションアルバムを発表した。
この『時の葬列』に参加した、AUTO-MOD、SADIE SADS、G-SCHMITT、Madame Edwardaの4バンドが、近年中古市場でポジティブパンク四天王と呼ばれて宣伝される存在である。はっきり言って、このアルバムをきっかけに日本でもこのような音楽がどのようなものであるか、確固とした存在になっていったとされている(ただし、どう聴いてもこれらのバンドの音楽性はそこそこばらばらである)。
なお、このヴェクセルバルクに属するバンドとしては他に、Nubile、SARASVATIなどが挙げられる。
一方、1984年に設立されたトランスレコードはYBO²やASYLUM、SODOM、Z.O.A、RUINS、BOREDOM、ILL BONEなどを売り出した。これらがトランス系などと後世呼称される、1980年代後半の日本における牽引役となっていった(ただし、RUINSなど明らかに別ジャンルのバンドもいる)。なお、厳密に言えばレコード会社が異なるものの、メンバーがある程度かぶっているPhaidiaもトランス系というくくりに入ることも多い。
さらに、ここに別の動きが混ざる。1970年代のパンクムーブメントに煽られてインディーズシーンで巻き起こった、ガールズバンドブームである。世代的にちょうど、Siouxsie And The Banshees、The Raincoats、The Slits、Essential Logicといった、ポストパンクのガールズバンドに影響を受けたこれらの日本のガールズバンドは、早い話ゴシック・ロックと近しい音楽性のことが多いのである。
例えば、この流れの先駆的な存在であるBOYS BOYSの後進にあたる、日本のかつての代表的なガールズバンドだったZELDAも、正直ずっとニューウェーブ的な音楽をやっているバンドではある。のだが、初期はポジティブパンクに近い曲を出しており、それ以後も黒服をまとうジャケットのアルバムを出すなど、完全に同時代人として同じ土壌を共有していた。
このくくりに水玉消防団、LIZARDのモモヨのプロデュースという枕詞がRAPとともにつくBárbara、関西圏で活動したアングラ系のOXZなどが挙げられる。
また、通史的にはうまく組み込めないながらも日本各地に同じような土壌から生み出されたバンドが同時多発的に誕生していた。たとえば、富山で活動していたPale CocoonにはFuneral Partyの草野達也が客演している他、ボーカルの244もGilles de Rai(1980年代後半に結成されたヴィジュアル系バンドではなく1980年に結成された同名の別バンド)という別のポストパンク、ポジティブパンクに属するバンドに携わっているなどである。
また、後世歴史に残らないながらもBöhm、Brand Of Cain、GARA、The Lautrec、L-Trans、Mannequin Neurose、Mother-Goose、The Nonfiction、THE SADIST、Satin Doll、Zarathustra、餓鬼道、幻覚マイム、少女人形、胎児など、海千山千のバンドが登場していったのである(なお、ほとんどLPやソノシートなどでリリースされているので音源を入手するすべが怪しくなっているが、ヤプールミュージックが1985年にリリースした『恋は信じる程に美しい = Love Is Beautful』というコンピレーションのソノシートに、結構この手のバンドが残っている)。
なお、こうした1980年代生まれのポジティブパンクのバンドの中で、目立たないながらもGENETと同様息が長いのがNeurotic Dollである。彼らはGENETや後述のLUCIFER LUSCIOUS Violenouéなどと同様、ポジティブパンクのしぼんだ1990年代にもイベントに参加し、ゴシック的なパフォーマンスを共に行っていくことになる。
また、1983年にはポジティブパンク専門のクラブ「Club Walpurgis」が新宿に設営され、1985年にはあぶらだこ、ALLERGY、SADIE SADS、Madame Edwardaらが出演したポジティブパンクのドキュメンタリー映画「aura aurora/オーラ・オーロラ」が作られる。このように、日本でも、だいたいイギリスと似たようなことが起きていたといってもよい。
ポジティブパンクの同時代人たち
他にもこうした流れに全くかかわっていなかったものの、全く同じような音楽性を土壌にしていたバンドとしてしばしば名前が挙がるのが、1980年代前半のカルト的バンドとして言及されることも多い以下の面々である。例えば、ALLERGYやLIBIDO、Chance Operation、Cioccolata、Radio Insane、Viola Renea、絶対零度など。ただし、正直彼らの自意識としても通史としてもいまいち完全にゴシック・ロックとするのはいかがなものかと扱いに困るので、あくまでも名前を挙げるのみとする(E.D.P.Sとかバンド主体だけど確かにこの傾向があるとかいちいちあげだすときりがないし…)。というかたまにザ・スターリンあたりまで関連バンドとして海外で言及されることがある。
また、この辺りは海外のオタクがプレイリストなどでどこから見つけてきたのか似たような音楽としてくくっているだけなのだが、ゴシック・ロックとは完全に言い切れないながらも、同じくポストパンク、ニューウェーブの音楽に属する存在として、何かとまとめられてしまうものもある。The BC Lemons、Phewなどがそれである。
この動きに参加したわけではないものの、GASTUNK、THE WILLARDなどのヴィジュアル系前史に登場する他ジャンルのバンドにも、こうしたポジティブパンクの要素を見出す楽曲もあるとも言われる。もっとも、このヴィジュアル系前史頻出でゴシックと形容されることの多いDer Zibetに関しては、完全に違うと断言できる。彼らは、宣伝文句にレッド・ツェッペリン系と銘打たれるように全くこうした音楽性の系統にはおらず、完全に黒くて暗そうなバンドはゴシック・ロックと勝手に言われる感じのやつの事例だったりする。
つまり、確かにヴィジュアル系前史は、ゴシック・ロック、およびポジティブパンクの時代とある程度の同時代性を持っていたのである。
時代の変わり目
ところが、1980年代後半以降、ぶっちゃけポジティブパンクの動きは日本ではしぼんでいく。この経緯として「TV-TV インディーズの襲来」に出演時のMadame EdwardaのZINの発言に対して、『FOOL'S MATE』誌の瀧見憲司を筆頭にした大批判が起きた結果ともいわれる。しかし、実際のところはよくわからない。
ただし、そもそもトランス・レコードの設立が1984年であることからもわかる通り、実は1980年代後半デビュー組は多い。たとえば、それ以前に活動していたバンドを囲ったトランス系としてよく名前が挙がる存在以外にも、それ以降にトランス・レコードから新たにデビューしたバンドにBardo Thödolなども存在する。また、LUCIFER LUSCIOUS ViolenouéというGENETと並ぶ一人のカリスマを産む、Gille' Lovesといったバンドがデビューしたのも1987年である。
さらに言えば、Phaidiaに終止符が打たれた後、ボーカルのGILLYが1985年にSex Android(当然同名のヴィジュアル系バンドとは無関係)を結成し、シティー・ロッカー・レコードから1980年代後半にこの音楽性のアルバムを何点かリリースしている。
1980年代後半というのは、このようにまだこうしたポジティブパンク、ゴシック・ロックに属するバンドの結成が散見され、ダーク・ウェーブまで射程に含めてしまうと、The Geil、Gregor Samsa、Jail Meating、Surrealistic Men、THE STUCK、Velvet Endroit、Voissといったバンドがこの時期に活動を始めている。
なお、この1980年代後半に中規模の拠点となっていたのが、コネカ・レコードというレーベルである。1990年にリリースされたライブビデオ『Tokyo Acid Punk』にはMother Goose、Sculla、EX-ANS、Neurotic Dollらの姿が見られ、この時代の空気感が伝わってくると思う。
しかし、こうした動向は、1989年の「三宅裕司のいかすバンド天国」に象徴される、折からのメジャーシーンでのバンドブームと、東のX、西のCOLORという文言に象徴されるようなより正統派なバンドに人気が出たインディーズシーンの煽りを受けまくった。
かくして、1990年の『FOOL'S MATE』の100号を記念した洋楽の『MIX』と邦楽の『FOOL'S MATE』への分断が起きたまさにその号で、『MIX』に「黒服を脱ぎ捨てよ」めいた文言が象徴的に飾られたように、トランスギャルなどのポジティブパンク勢がどんどん居場所をなくしていったようである。
ヴィジュアル系の時代
Madame Edwarda、Phaidiaの化粧がヴィジュアル系の化粧に影響を与えたとか与えていないとかともいわれているので、ヴィジュアル系がよく継承者と言われる。
要するに、1990年を境にポジティブパンクの時代が終わり、ポジティブパンクなどの1980年代UKロックを継承し日本独自でガラパゴスに発展した新たな世代によるヴィジュアル系バンドが、出現していったのだ、ということになっている。
この世代交代を象徴することが、西新宿にあったポジティブパンクの拠点であるレコード店『UKエジソン』が1993年に閉店した結果、ヴィジュアル系専門の「ライカエジソン」が跡地に1994年に開店したことでもある(なお、名前が似ているが運営母体は無関係)。
ただし、ここで一つ問題がある。それはヴィジュアル系の中でポジティブパンク的なUKロックの影響を受けながらも、例えば明らかにメジャーコードを多く使ったポップな路線を進めた多数派と、原義ゴシック・ロックに近しい、ポジティブパンクの路線をそのまま突き抜けた少数派の、二派が存在することである。
ポップな末裔たち
このうち、前者の代表こそ、BUCK-TICKを中心にした、ヴィジュアル系ロックのさらに主流に近いヘヴィな音楽性とは全く対照的な軽めのロックを1990年代前半に追求していたグループと、名古屋を中心とした黒夢など名古屋系のバンドである。
彼らをポジティブパンクの直系の子孫と差別化させた大きな要因は、おそらくBOØWYというまた別のカリスマを介したことが大きいと思われる。
BOØWYは早い話、ポストパンクやゴシック・ロックと同時代に起きていたニューウェーブやニューロマンティックといったイギリス音楽による第二次侵略ともいうべき世界的現象を、GENETや北村昌士とは違う形で影響された存在である。というかこれもまたよく言われる話だが、BOØWYに合流する布袋寅泰は、もともとAUTO-MODのギタリストである。
つまり、ニューウェーブが始まった初期のポストパンクに感化されたGENETや北村昌士と、ポストパンクの時代やゴシック・ロックの時代がある程度過ぎた頃のポップでキャッチーなニューウェーブの音楽性を日本に持ち込んだBOØWYという、二段階の1980年代UKロック受容が、まず日本のロック史に前提としてあった。
そして、このBOØWYフォロワーのかなり有名な例こそが、BUCK-TICKである。ただし、BOØWYがポジティブパンクめいた黒服を途中で脱ぎ、キャッチーなビートロックを打ち立てたのとは逆に、BUCK-TICKはポジティブパンクの要素を途中から取り入れ、デカダンビートロックと称し、ある時期から黒服をアイコンとして着始めたのである。
そして、このゴシック・ロックのような黒服を身にまとった後のBUCK-TICKフォロワーが一気に現れるのが、1990年代前半である。ただし、彼らの音楽性の原点はあくまでも、ゴシック・ロックの後に流行った、ニューウェーブ本丸に感化されたBOØWYのビートロックである。要するに、正直なところ、原義通りのゴシック・ロックを基準に彼らの音楽性を再検討すると、結構な乖離がある。ただし、差異としては、例えるならゴシック・ロック時代のThe Cureと脱ゴシックした後のThe Cureくらいのものである。
つまり、BOØWYリスペクトのビートロック路線勢に関して言えば、はっきり言って以下のようにも言える。ニューウェーブのシンセサイザーやキーボードをギターのみで行う感じにアレンジした方向で1980年代のUKロックを追い求めていった結果、ゴシック・ロックとも微妙に言えなくもないとサウンドになったのではないか、と。
実際BUCK-TICKのアルバム『悪の華』が原義的なゴシック・ロックかというとかなり怪しく、BOØWYをリスペクトしたBUCK-TICKや、さらにそのフォロワーについては、上記に記載した同じような土壌を共有していた同時代人の一つではないかと思われるのである(ただし、BUCK-TICKのみに限って言えば、たとえば『狂った太陽』くらいの頃は、ポジティブパンクの系譜にある楽曲も一部ちゃんと存在しなくはないのは忘れてはいけない)。
しかし、先ほども言ったように、このBUCK-TICKのアルバム『悪の華』などがあまりにも強い影響力を持つレベルでヴィジュアル系史に正典となった結果、格好はポジティブパンクっぽいビートロックの系譜のバンドが、ポジティブパンクを称し始めた。この結果ポジティブパンクの親戚みたいな音楽性のヴィジュアル系バンドが、後世ポジティブパンクの末裔の一員にされてしまうのである。
つまり、ゴシック・ロック→和製ポジティブパンクが、BOØWYとBUCK-TICKという別のカリスマを経てしまった結果が、この1990年代前半の自称ポジティブパンクのヴィジュアル系バンドたちと思われる
かくして、BUCK-TICKの『悪の華』がリリースされた1990年には、メタル寄りだったD'ERLANGERがポジティブパンクに感化されたサディスティカルパンクを標榜した『BASILISK』を(ただしこの年解散)、スラッシュメタル+ポジティブパンクのポジティブメタルを標榜し始めたZI:KILLが『CLOSE DANSE』をリリースした。
この流れには1989年にデビューしたJUSTY-NASTYや、元JUSTY-NASTYのLEZYNAと元D'ERLANGERのDIZZYらが組んだSTRAWBERRY FIELDSといったバンドも名前が挙げられる。
特に前者は、LEZYNA脱退後にかつてEX-ANSなどにいて思いっきりポジティブパンクをやっていたギタリストのTAKESHIが属している。
つまり、1980年代のUKロックにあこがれたAUTO-MODの要素をエッセンス的に使いつつも、よりメインストリームにいたBOØWYに感化された後進達、という存在が黎明期のヴィジュアル系バンド史には局所的に存在したのである(詳しい人はわかるが、D'ERLANGER、ZI:KILL、JUSTY-NASTY、STRAWBERRY FIELDSはメンバーの被りも多い)。
一方、あくまでもビートロックの音楽性の、誤解を恐れずに言えば正直世界観に関しては明るいBUCK-TICKフォロワーたちに反発したのが、黒夢の清春を中心とした名古屋系とされる。
つまり、BUCK-TICKをフォローしつつも、ちゃんと暗い世界観の音楽を継承しようという意気込みを核にしたヴィジュアル系バンドが、黒夢という新しいファッションリーダーの登場をきっかけに、確固とした存在になったのである。実際、彼らは前述のLUCIFER LUSCIOUS ViolenouéやGENETなどとも交流がある(そもそもLUCIFER LUSCIOUS Violenouéが名古屋の人だし…)。
ただ、彼らに限って言えば、そもそも黒夢がポジティブパンク+ハードコアパンクををコンセプトにしていたので、子孫ではあるのだが、同じく直系の純血というわけではない。
というか黒夢のリスペクトしているバンドを見ていくと、一般的なヴィジュアル系バンドへの影響が強いハードロックやヘヴィメタルよりも、1980年代のUKロック全般に感化された音楽性であり、正直この辺はBUCK-TICKとそんなに変わらない気がする。
また、それに加えて、1990年代後半以降の、インディーズのヴィジュアル系バンド特有の極めて面倒な問題が一つある。端的に言えばメジャーデビューである。つまり、この名古屋系のバンドたちは、メジャーデビューしていった後のパッと思いつくすぐ聴ける代表曲は、陰気な歌詞をベースにしながらも、もともとの音楽性から離れたポップでキャッチーな音楽性のことが多いのである。
こうした理由で、名古屋系はあくまでもポジティブパンクの親戚みたいな存在である点では、BUCK-TICK、およびそのフォロワーとそんなに変わらなかった。
歴史に戻ると、清春はもともとGARNETというバンドにいた。ここでギターの真宮からポジティブパンクの音楽を教わった清春は、1991年に黒夢を結成する。この黒夢の掲げた世界観があまりにも正典化されたために、コテコテのヴィジュアル系バンドのコテ系と対照的な存在が生まれた。
この黒夢の後も、名古屋系としてROUAGEやFANATIC◇CRISIS、Merry Go Roundら第一世代名古屋系から、Lustair、D'elsquel、Lamiel、kein、babysitter、Poisonous Doll、Sallyといった第二世代名古屋系まで続く。そして、deadmanやGULLETらがいた2000年代初頭まではポジティブパンクの衣鉢を受け継いだ名古屋系というアイデンティティが確かに存在した。のだが、彼らにしても黒夢と似通った音楽性ということは、原義通りのゴシック・ロックとも言えないのである。
なお、余談だが、2000年代以降はlynch.、Deathgazeといったこうした伝統からは外れた新しい存在が名古屋の音楽シーンを牽引た。こうして、2010年代に回帰を目指したアルルカンが登場するまではポジティブパンクの衣鉢を受け継いだ名古屋系という在り方は影を潜めていたようである。
まあそれはさておき、このグループは、確かにさすがに商業ゴスや黒服着ただけのHR/HMバンドほど乖離しているわけではない。ただし、正直ゴシック・ロック史をこの記事でまとめていった結果、ヴィジュアル系畑で言われているほど、彼らはゴシック・ロックではないのではないかという結論に、ぶっちゃけ達してしまった。
上述の通り、1980年代UKロックという、ゴシック・ロックと同じ土壌から生まれたと思われるので隣近所ではある。ていうか、D'ERLANGERやSTRAWBERRY FIELDSにいたDIZZYこと福井祥史や、黒夢の清春は20世紀末に出たAUTO-MODのトリビュートアルバムに参加してるので、仲間意識は間違いなくあった。
だが、この辺の定義のあいまいなまま区分けによその国の固有名詞をふわっと当てはめた感じは、第四波の個所でふれたように、インターネットができるまで情報源に限りがあったとかそういうのがあるのかもしれない。
ただ、日本の場合、地理的に離れていたこともあり、ガラパゴスな発展を遂げたという見解もできなくはないので、記して後考を待ちたい。
なお、さすがに触れないわけにもいかないのだが、日本にゴス層を形成させた大きな要因となったバンドとして、MALICE MIZERがいることは周知の通りである。
しかし、良くも悪くも彼らが日本でゴスのファッションリーダーになってしまったがために、日本ではゴス=MALICE MIZERっぽいものとのみ定義されてしまっていなくもない。のだが、彼らの音楽性は全くゴシック・ロックではないは、はっきりと言い切れるとは思う(なお、正直MALICE MIZERの影響で、日本におけるゴス=Romantic Gothで、原義通りのTrad Gothなどが完全に押し流されてしまったなどもあったりする)。
原義的な末裔たち
ただし、確実にGENETやLUCIFER LUSCIOUS Violenoué、Neurotic Dollなどとある程度歩調を合わせたヴィジュアル系バンドに近い存在は1990年代前半に存在した。例えば、1994年2月10日に大阪で開催されたGothic Nightにはこれら前世代のカリスマに加え、Jelsomena、Jubilee、Judithなどが参加している他、Bleeding Rosesなどもこの動向に含められそうである。
なお、JubileeからはSadie Pink Galaxyというまた別の広告塔が誕生することとなった。
その他散発的ながらヴィジュアル系バンドにはこのポジティブパンクの音楽性を踏襲したと言いきれそうなバンドがぽつぽつ存在する。たとえば、ALUCARD、ART MARJU DUCHAIN、Mercuro、ROSES OF DEAD ESSENCESなどがいるが、このかなり有名な例としては、SPEED-iD、VELVET EDENなどがよく言及される。
祭りの後の残り火
一方、ポジティブパンクの影響下にあるヴィジュアル系バンドとは別に、1990年代にもほそぼそとGenet/Rock of Romanceとしてソロで活動を続けていたGENETが、マリリン・マンソンなどに感化されて20世紀の末にAUTO-MODを再始動した。
2000年にはGENETは、「TOKYO GOTH & DARKWAVE」を開催し始め、これがのちに「TOKYO DARK CASTLE」となり、ポジティブパンクにとらわれずにゴシック・ロック、ダーク・ウェーブ、EBMなどの音楽アーティストを発信し続けている(最も最近のGENETはパンクをやりたそうだが)。
なお、関西の「KOBE UNDERGROUND FESTIVAL」も含めて、ゴス系のアーティストが大量にこの手の動きに加わっている。この中には前述のSPEED-iDにプロデュースされた、functioncodeこと声優の森永理科もいたりする(ただし、彼女はゴシック・ロック、ポジティブパンクという音楽性ではない)。
また、21世紀になってからも前世代からいるメンバーによる発案とかではない、過去のポジティブパンクめいたポストパンクの音楽性を踏襲したバンドもいる。例えば、THETHEKURO、Zwecklos、堕空-dakuu-などの名前が挙げられる(最も彼らも往々にしてヴィジュアル系バンドとして扱われがちなのだが)。
ただし、1990年代にヴィジュアル系バンドやそもそもポジティブパンクをやっていた面々に対し、ややこしい問題がある。つまり、ゴシック・ロックではない音楽性の、マリリン・マンソンなどのインダストリアルやEBMといった影響が大なり小なり入るという、世界規模でゴス層に起きた現象が同様に起きたのである。なので、ある時期以降は、BUCK-TICKや黒夢だけではなく、ぶっちゃけ再始動後のAUTO-MODも音楽性は変わってしまっているのは触れておきたい。
というかぶっちゃけ、日本の場合、ゴス層のアーティストはポジティブパンクとインダストリアルを合体させてさらにダーク・ウェーブ風味なことをやっていることが多い印象である。
なお、このゴシック・ロックやポストパンク系統の最近の日本のバンドは、他のゴス系のアーティストと一緒になってはいるものの、例えば、2005年に発売された『Kobe Underground Festival 2004-2005』、2007年に発売された『Tokyo Dark Castle』といった前述のフェス参加者のコンピレーションアルバムや、フランスのZorch Factory Recordsから2010年にリリースされたコンピレーションアルバム『Plan-X From The Eastern Dark』などで聴くことができる。
こうした参加者の中で自分たちのアルバムを出せているのは、†13th Moon†や堕空-dakuu-、Darkside Mirrors、lloy、The Lechery From Marsあたりがいる。
このように、「TOKYO DARK CASTLE」にも参加している、2000年代結成の†13th Moon†や、2020年代にデスロックの文脈において第二次リバイバルの注目アーティストとされているNEHANNなど、ゴシック・ロックリバイバルムーブメントと絡んで海外ゴス層から注目されているバンドも確かに存在する。ので、実は海外ゴス層からすると、日本にも同じように第四波の動向に括れるバンドもいるとされているようだ。
ただ、正直2010年代以降のまとまった歴史は、断片すらネットになく筆者の力量を超えるので、ここで筆をおく。
ゴシック・ロックの代表的なレーベル
関連ジャンル
よりパンクに近づいたものをデスロック、シンセサイザーの多用が特徴的なものをダーク・ウェーブと呼んでいる…気がする。ただし、上述の通り、デスロックもダーク・ウェーブも似たような感じのジャンルをごっちゃにされてるだけで、結構別の現象である。
また、ゴシック文化の波及に伴い、音楽性ではなくビジュアル面などの文化が混ざり合ったジャンルは、インダストリアルなど多数ある。ホラー・パンクとか、ダーク・エレクトロとか、ダーク・キャバレーとかも割とその辺。
主なバンド
初期のパイオニアたち
- Alien Sex Fiend
- Bauhaus
- The Birthday Party
- The Cure
- The Damned
- The Danse Society
- The Dead Boys
- Dead or Alive
- Gene Loves Jezebel
- Joy Division
- Killing Joke
- The Lords of the New Church
- Play Dead
- Sham 69
- Siouxsie And The Banshees
- Skeletal Family
- The Southern Death Cult
- Specimen
- UK Decay
イギリスにおける第一波組
- All About Eve
- Fields of The Nephilim
- Ghost Dance
- The March Violet
- The Mission
- Red Lolly Yellow Lolly
- The Sisters of Mercy
その他地域における第一波
第二波
- Another Tale
- Bay Laurel
- Big Erectric Cat
- Children on Stun
- Dreadfull Shadows
- Dronning Maud Land
- Funhouse
- Garden of Delight
- Ikon
- Lemon Avenue
- London After Midnight
- Love Like Blood
- Medicine Lain
- The Merry Thoughts
- Nosferatu
- Rosetta Stone
- The Wake
第三波
- Angel of Liberty
- Cinema Strange
- The Daughters of Bristol
- Dawn of Oblivion
- Diva Destruction
- Dr. Arthur Kraus
- Dreamtime
- The Eden House
- Elusive
- Golden Apes
- Grooving In Green
- Imaginary Walls
- Malaise
- Merciful Nuns
- The Misled
- NFD
- Reptyle
- Snakedance
- Solemn Novena
- Soror dolorosa
- Star Industry
- Terminal Gods
最近の第四波めいたあたり
- Aeon Sable
- Angel's Arcana
- Angels Of Liberty
- Dryland
- Giant Waves
- Hante
- Human
- Human Tetris
- JE T' AIME
- KILL SHELTER
- Lebanon Hanover
- Long Night
- Monoplan
- Minuit Machine
- Plastique Noir
- The Quinsy
- Raven Said
- The Rope
- Selofan
- She Past Away
- Sonsombre
- Tomb of Love
- Winter Severity Index
- Wisborg
- Witch will Die Tomorrow
- Конец Электроники
- Облако – Корни
- Сумеречный Сад
ファンの間でもゴシック・ロック判定するかどうか迷うもの(世界編)
インダストリアルとか黒服着ただけのバンドとか除いても、実は以下のバンドはゴシック・ロックかどうか判定しづらいのでここに記載する。
前身はゴシック・ロックのバンド
デスロックのうちそこまでゴシック・ロックではないもの
ドリーム・ポップ、エテーラル・ウェーブ系
- Cocteau Twins
- Dead Can Dance
- Mors Syphilitica
- Requiem in White
- This Ascension
- This Mortal Coil
- Trance to the Sun
ゴシック・ロックの先駆者寄りの音楽性に傾倒したもの
ゴシック・ロックなのかどうか割ときわどい存在
ゴシック・ロックにいろいろ混ぜ合わせたと称している結果全く別ジャンルに近い、正直黒服着ただけのバンドと一蹴できそうだが、一応載せておく
- The Horrors
- The 69 Eyes
日本のゴシック・ロック
※日本語圏どころか英語版Wikipediaですら、明らかにハードロックの系譜にあったり格好が黒服というだけだったりするヴィジュアル系の有名どころを雑に羅列してるだけなので、とりあえずそれっぽいバンドを列挙する
Wechselbalg Syndicate系
上述の通りGENETを中心にした、テレグラフレコード内の一レーベル。ただし、途中からGENETの他の活動などもリリースされるようになり、末期は赤痢やthe 原爆オナニーズ、非常階段といったパンクロックのオムニバスアルバムも出していた。
TRANS RECORDS系
上述の通り、『FOOL'S MATE』の初代編集長で、YBO²のリーダーであった北村昌士によって作られた。ただしこちらも北村昌士の他の活動や、Zeitlich Vergelterのようなポジティブパンクではないバンドもいたので、トランス系だけが属していたわけではない。
コネカ・レコード系
金子美樹らによって作られたインディーズレーベル。「コネカバザール」などのイベント運営で知られるが、ポジティブパンクの時代の末期に中規模の拠点となっていた。
太陽レコード系
Vanilla Records系
The Sadistのギターであった手島美智雄によって設立されたレーベル。正直最初は要するに自費出版レーベルだがその後規模が拡大し現代まで続いているのでこちらに記載する。
ナイトギャラリー系
電動マリオネットの森田文章が作ったレーベル。初期はAUSCHWITZやTHE GURDJIEFFを擁するなどアングラ色が強かったが、DEAD ENDのアルバム『DEAD LINE』のヒットによって方向性が変わっていった。
シティ・ロッカー・レコード系
パンク雑誌『DOLL』編集長であった森脇美貴夫が設立したレーベル。
パフェ・レコード系
富山県のライブハウス「メディア」を基軸にしたローカルなレーベル。
Vital Plant Ltd.系
神楽坂のライヴ・ハウス「エクスプロージョン」のオーナー藤沢秀樹によって設立されたレーベルである「エクスプロージョン」のうち、ポジティブパンク寄りのバンドがリリースされていたレーベル内レーベル。
ZAZZLE Records系
現在のユーケープロジェクトの前身である「UK Project」内に存在したレーベル。
アスピリン・レコード系
守屋正によって設立されたレーベルで、「バルコニー・レコード」の前身。
Marquee Moon・L.L.E.系
雑誌『Marquee Moon』によるレーベル。なお、L.L.E.側の担当者である中野泰博は、現在中野ブロードウェイの「shop MECANO」の店長。
- L-TRANS
スキンポップレコード系
ざっくりまとめると、クラウンレコードとUKエジソンが提携して設立したレーベル「Vice」、およびその流通用であったMusic Visionの中に属するレーベルの一つらしい。
サラリーマン・レコード系
ADKレコード系
ザ・スターリンの2代目ギタリストTAMが設立したレーベル。あぶらだこなど有名なバンドも多く属し、インディーズレーベルの中では上位の扱いをされていた。
- Coma
自費出版・もしくはその他レーベルに属しているポジティブパンク系アーティスト
- Böhm(Risky Record)
- Brand Of Cain(Cain Records)
- Gille' Loves(Gothic Romance Invitation)
- Gregor Samsa(Brains Factory)
- Jail Meating(不明)
- The Lautrec(Gallery Lautrec)
- Neurotic Doll(Labyrinth Records)
- Satin Doll(Satin Doll Syndicate Records)
- THE STUCK(不明)
- Voiss(Psycho Records)
- 餓鬼道(自費出版)
- 少女人形(Lovely Chaos Record)
- 胎児(胎内レーベル)
前世代のポジティブパンクの動きと明らかに連動したヴィジュアル系
ポジティブパンクの要素をある程度盛り込んだ1990年代以降のヴィジュアル系
- A+b No.0 9P
- ALUCARD
- Art Marju Duchain(現在はVamquetに合流)
- emmurée
- Mercuro
- MONAURAL CURVE
- ROSES OF DEAD ESSENCES
- Speed-iD
- Velvet Eden
Tokyo Dark Castleなどに関わっているゴシック・ロック系
その他21世紀デビューのゴシック・ロック系バンド
ゴシック・ロック扱いされるが音楽性的に若干違うと言える日本のバンド
正直なところ、ポジティブパンクというよりはニューウェーブ、ニューロマンティックといった1980年代のUKロック全般に影響されてるので、そうとも言えるしそうでないとも言える面々をここに括る。
一部ポジティブパンクの要素があるともいわれる同時代人
- ALLERGY
- The BC Lemons
- Chance Operation
- Cioccolata
- D-Day
- E.D.P.S
- Excentrique Noiz
- Friction
- Jack or Jive
- LIBIDO
- Non Band
- Off Mask 00
- Portray Head
- Phew
- Radio Insane
- Still
- Theatre Brook
- Viola Renea
- Zeitlich Vergelter(トランス系だが、元祖和製インダストリアルとも言われるほど音楽性が違う)
- ZELDA(真暗闇~ある日の光景~あたり)
- あがた森魚(サブマリンあたり)
- アーント・サリー
- 遠藤ミチロウ(Water Sisterあたり)
- キャ→(Conceptionあたり)
- 絶対零度
- 電動マリオネット
- 水玉消防団
- ミン&クリナメン
ビートロックの系統のヴィジュアル系
ぶっちゃけ、BUCK-TICK以外は自称ポジティブパンクな雰囲気も否めない。
- BUCK-TICK
- D'ERLANGER
- JUSTY-NASTY
- STRAWBERRY FIELDS
- ZI:KILL
名古屋系
前述の通り、正直BUCK-TICKと同様、1980年代のUKロック全般をリスペクトしている感じでゴシック・ロックかと言われるとかなり怪しいのでこちらに入れておく。
- babysitter
- deadman
- D'elsquel
- FANATIC◇CRISIS
- GULLET
- kein
- Lamiel
- Lustair
- Merry Go Round
- Poisonous Doll
- ROUAGE
- Sally
- アルルカン
- 黒夢
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音楽
とりあえず原義通りのゴシック・ロックがざっくりわかるスタジオアルバム。
第一波~第二波くらいまでのが手ごろにまとまっている。ただし、初期メンツはBauhausくらい。
Bat Caveで流れてそうな、第一波~第三波初期くらいの楽曲が入っている。ただしカバーやアレンジもそこそこある(正直レーベルがレーベルなので信頼できるアルバムもこれくらいしか…)。
いわゆる第四波に属しそうなアーティストが大量に入っている。ジャンルについて何か言いたいことがある前に聞くべき。
書籍
1980年代からゴスを追っているミック・マーサーによるもの。3冊目も1996年くらいの古典かつ、ゴシック・ロックのみを追っているわけではないが、読んでおいた方がいいもの。
ミック・マーサーの4~5冊目の本だが、まだ電子化されておらず、2002年、2009年とそこそこ古くなっている。
2002年発売なので、これも古いが、堅実にゴシック・ロックをちゃんと追ったもの。
正直なところ、最近の動向を追うためには本なんかよりも以下のサイトを読んだ方がよっぽど早い(あとは『Rate Your Music』でゴス層が書いた記事とかその辺も)。
- 『post-punk.com』ポストパンクについてのポータルサイト
- 『Obscura Undead』トピックなどがまとまっているブログ
- 『Sounds and Shadows』アメリカの複数のアーティストが運営している、ゴス層が好きそうな音楽ジャンル全般を取り扱うポータルサイト
関連項目
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- 0pt