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ダレル・ラズナー(Darrell Wayne Rasner、1981年1月13日-)とは、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手(投手)である。
ラズにゃん!がんばれ!ラズにゃん!
概要
OB | |
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ダレル・ラズナー Darrell Rasner |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ネバダ州 カーソンシティ |
生年月日 | 1981年1月13日 |
身長 体重 |
191cm 95kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2002年MLBドラフト2巡目 |
引退 | 2014年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
2002年にドラフト2順目でモントリオール・エクスポズに入団し、ワシントン・ナショナルズとなった2005年にメジャーデビュー。5試合に登板し1敗だった。
2006年にニューヨーク・ヤンキースに移籍。6試合に登板し、3勝1敗だったが、日本球界も含めて唯一の勝ち越しだった。
2007年は相次ぐ投手陣の故障で、先発として活躍した時期もあったが、5月19日のニューヨーク・メッツ戦で打球を右手人差し指に受けて骨折。6試合に先発し、1勝3敗だった。オフにFAとなったがヤンキースとマイナー契約を結んだ。
2008年は5月5日にヤンキースに復帰した。24試合に登板し5勝10敗と負け越した。
楽天時代
2008年オフに東北楽天ゴールデンイーグルスに入団した。背番号は17。
2009年から東北楽天ゴールデンイーグルスの選手となり、先発の一角として活躍が期待された。1,2戦目こそまずまずの投球はしたが、その後は炎上することが多く、当時監督だった野村克也から「ラズナーは出すなー」などと酷評され、6月に二軍落ち。9月に一軍に戻ってくるが、最終的には4勝7敗、防御率6.09と言う成績でシーズンを終える。誰もが解雇と思われたが、奇跡的に残留した。
2010年、楽天の監督はマーティー・レオ・ブラウン監督となり、再び先発ローテーションの一角として期待されたが、前年のごとく炎上したりするなどシーズン開始直後は先発試合は期待できないと思われていたが、セ・パ交流戦に入ってからは東京ドームでの読売ジャイアンツ戦で無失点の投球を見せるなど、突如安定感のあるピッチングを披露。打線の援護がなかったため勝ち星はつかない事が多かったが、1年を通して先発ローテーションを守りきった。
2011年も楽天に在籍。岩隈久志・田中将大・永井怜に続く先発として期待されたが、5月の試合中に今度は足を怪我し降板。全治3週間程度という診断を受けたが、二ヶ月後の7月まで復帰が遅れた。しかしこの休養がラズナーの意外な適性を発見する形となる。ライアン・スパイアーと入れ替わりで一軍復帰したラズナーはそのままリリーフに鎮座。なんとそのまま守護神として定着し17セーブを挙げる活躍を見せた。ラズナー自身も人生初めての抑えという事で苦戦しながらの調整であったが、シーズン前半の固定できなかったクローザーが安定したのは大きかった。楽天のクローザー問題は昔からの課題であったが、灯台下暗し、解決策は割と近くに存在したのかもしれない。サンチェスとはなんだったのか
2012年も守護神を務めたが、5月に股関節の故障で離脱し、復帰後はセットアッパーを務める。
2013年は守護神として8月中旬までに17セーブ防御率3.35の成績を挙げる。しかし、8月24日の千葉ロッテマリーンズ戦で右肘痛を訴えて降板、帰国し右肘靱帯の修復手術を受け、復帰に長期を要する見通しとなり無念の離脱となった。術後の経過を考慮してチームのリーグ優勝、日本一にも同席出来なかったが、青山浩二がラズナーのユニフォームを着込んだり、等身大のパネルを用意して背番号17を輪に加えていた。シーズン終了後、自由契約となる。
引退後
楽天退団後も楽天復帰に強い意欲を示し懸命のリハビリを続けていたが、球威を取り戻すことが出来ず引退を決断。
プレースタイル・人物
投球スタイルはコントロールで勝負する投手。長身から投げ下ろすストレートは迫力があるが威力がないのか高めに浮いた球は長打にされやすい。カットボール・チェンジアップでゴロを打たせる、イーグルスでは岩隈久志のようなタイプに近かった。塁にランナーがたまると、ランナーを気にし過ぎるのかコントロールが不安定になりピッチングにモロさが出てくる傾向が強い。
2009年はボール先行させる事が多く、カウントが悪くなると安易にストライクゾーンに投げるため、長打を打たれるこが多かった。被本塁打が多いため、野村監督からは「ラズナーはホームラン配球王だ」なとともいわれたこともある。
2010年は佐藤投手コーチにフォークを教わった事により、元々の得意球であるカーブも活かせ投球の幅が広がり、前年には見られなかったフォークで三振を取る場面が多くなった。ランナーがいない場面では完璧なピッチングを披露する事もあった。
また、2011年の抑え時には球速が大幅に上昇。コントロールだけでなく球速まで持ち合わせて文字通りズバッと決まるようになった。
フォークを覚えようとするなど日本の野球に馴染もうとしているなど、努力家であったと思われる。また、スポーツ紙の試合後のインタビューでは打たれた場合は自分、抑えた時は捕手を讃えるなど謙虚な性格が窺える。例え、1失点ピッチングで援護がなくて負けた試合でも自分が悪いという。更に試合以外では足を故障しているにも関わらず、地下鉄でお婆さんに席を譲る姿が目撃された。ラズにゃん、マジイケメン。
ニコニコ内では、けいおん!の登場人物中野梓のニックネーム「あずにゃん」から「ラズにゃん」とも呼ばれる。
但し「らずにゃん」でググってはいけない。おまいら、絶対にググるなよ!
成績
年度別投手成績
年度 Year |
球団 Team |
登板 G |
先発 GS |
完投 CG |
完封 SHO |
勝利 W |
敗戦 L |
セーブ SV |
ホールド HLD |
勝率 W-L% |
投球回 IP |
与四球 BB |
奪三振 SO |
失点 R |
自責点 ER |
防御率 ERA |
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2005年 | WSH | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 7.1 | 2 | 4 | 3 | 3 | 3.68 |
2006年 | NYY | 6 | 3 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | .750 | 20.1 | 5 | 11 | 10 | 10 | 4.43 |
2007年 | 6 | 6 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 24.2 | 8 | 11 | 14 | 11 | 4.01 | |
2008年 | 24 | 20 | 0 | 0 | 5 | 10 | 0 | 0 | .333 | 113.1 | 39 | 67 | 74 | 68 | 5.40 | |
2009年 | 楽天 | 15 | 15 | 1 | 0 | 4 | 7 | 0 | 0 | .364 | 81.1 | 23 | 52 | 56 | 55 | 6.09 |
2010年 | 26 | 26 | 1 | 0 | 5 | 11 | 0 | 0 | .313 | 152.2 | 58 | 118 | 83 | 76 | 4.48 | |
2011年 | 34 | 5 | 0 | 0 | 3 | 4 | 17 | 1 | .429 | 53.0 | 16 | 46 | 16 | 12 | 2.04 | |
2012年 | 46 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 6 | 17 | .250 | 42.0 | 12 | 32 | 15 | 13 | 2.79 | |
2013年 | 37 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 17 | 3 | .333 | 37.2 | 11 | 40 | 14 | 14 | 3.35 | |
MLB:4年 | 41 | 30 | 0 | 0 | 9 | 15 | 0 | 0 | .375 | 165.2 | 54 | 93 | 101 | 92 | 5.00 | |
NPB:5年 | 158 | 46 | 2 | 0 | 14 | 27 | 40 | 21 | .341 | 366.2 | 120 | 288 | 184 | 170 | 4.17 |
関連動画
先発時
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抑え時
関連コミュニティ
関連項目
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