ヒカルアヤノヒメ(Hikaru Ayanohime)とは、2004年生まれの日本の競走馬である。
名古屋競馬場・井上哲厩舎所属。鹿毛の牝馬。サラブレッドの最高齢出走の日本記録(19歳)保持者。
概要
上記の文章を見て「うん?」と思った方、書かれていることはただの事実である。
彼女は2007年クラシック世代、ウオッカやダイワスカーレットの同期で、2023年まで現役だった競走馬である。
父メイショウオウドウ、母*ゴールデンタッソー、母父Tassoという血統。
父は1998年クラシック世代で、2000年産経大阪杯など重賞2勝の*サンデーサイレンス産駒。阪神2000mを最も得意とした(4戦3勝)が、1999年毎日王冠ではグラスワンダーをハナ差まで追いつめ、2000年マイルCS・2001年安田記念で3着などマイルでも活躍した。種牡馬としては勝ち上がり率は高かったが目立った産駒はない。
母は21戦2勝のマル外。母父タッソーは1985年のブリーダーズカップ・ジュヴェナイルを制しエクリプス賞最優秀2歳牡馬を受賞した。2021年の凱旋門賞馬トルカータータッソとは特に関係はない。
2004年4月10日、浦河町の富菜牧場で誕生。オーナーは「ヒカル」冠名を用いた中脇満(中央時代)→服部照雄(名古屋転厩時)→㈱IMPACT(大井転厩~2010年8月)→大林春秀(2010年9月~2014年1月)→酒井しずゑ(2014年1月~2020年6月)→三原公子(2020年6月~)。
姫は名古屋で光り続けて
美浦・加藤和宏厩舎に入厩し、2006年11月25日、府中・芝1400mの新馬戦にて410kgという小柄な馬体でデビュー(12着)。2戦目も13着に敗れ、明けて3歳2月の未勝利戦でダート1400m戦に挑むと、単勝万馬券の11番人気ながら上がり最速で3着に健闘。その後6月までダートの未勝利戦を3戦走ったが3戦とも2桁着順に沈み、6戦未勝利で中央登録を抹消となった。
移籍先は名古屋競馬場の井上哲厩舎。転厩初戦を3着、2戦目を2着と好走し、3戦目で初勝利を挙げる。さらに5戦目で2勝目を挙げたが、このときは8番人気。さらに3着に10番人気が突っ込んで3連単299万5840円という当時の名古屋競馬場の最高配当記録を作った。
その後、大井競馬場の上杉昌宏厩舎に転厩。大井でも転厩初戦を内田博幸の騎乗で勝利する。
その後は小野寺晋広厩舎に移って戸崎圭太が騎乗したりもし、C2で2勝を挙げたものの、2009年8月、名古屋の井上厩舎に戻ることになった。
以降、彼女は名古屋と笠松でコツコツと年間25戦前後を走り続けることになる。
名古屋復帰後は2010年までは安定して馬券や掲示板に絡む走りを見せ、2010年は年間26戦して5勝を挙げる。しかし2011年以降は勝ち星から長く遠ざかってしまい、2013年まで3年続けて未勝利。既に9歳、明ければ10歳。当時のオーナーもいい加減引退させようかと考え始めていた。
姫はひとつの家族の宝
そんな頃、ひとりの女性馬主が彼女と出会った。酒井しずゑオーナーである。
彼女は昔から夫が馬主をしていたが、自身は全く馬に興味がなく、呉服店を経営していたこともあり、夫とはすれ違いの生活を続けていた。
しかし夫が80歳を過ぎた頃、交通事故の怪我で車いすの生活になってしまう。それ以来、娘とともに夫の車いすを押して競馬場に夫の馬を応援しに行くのが日課になり、すれ違っていた家族は競馬で絆を取り戻した。そして夫が亡くなると、彼女は夫の後を継ぐように馬主となった。夫から引き継いだ所有馬の中には、41戦22勝の戦績を残した名古屋のアラブの名馬・ブルバードライジンがいる。
そうして細々と馬主を続けていた酒井オーナーが、所有馬の多くを預けていた井上調教師から「まだやれるはず」と薦められ、ほとんどタダ同然で引き取ったのが負け続きのヒカルアヤノヒメであった。
2014年から酒井オーナーの所有となったヒカルアヤノヒメ。既に10歳、地方でも現役で走っている馬はほとんどいないような年齢だったが、なんとここで彼女はプチ復活を遂げる。5月に3年半ぶりの勝利を挙げ、7月にも勝利。その後もちょくちょく馬券に絡み、2015年8月には11歳で勝利を挙げる。2016年8月22日には通算200戦を達成。13歳となった2017年にもときたま馬券に絡む走りを見せる。
こうして毎年20戦以上を頑健に走り続けたヒカルアヤノヒメだが、2018年4月19日、レース中に他馬の跳ね上げた石が右目に入り、失明寸前の負傷を負う。さらに脚の怪我から高熱を発し、井上師も「死を覚悟した」というほどの状態だった。
しかしヒカルアヤノヒメはここから奇跡的な回復を見せ、11月にはレースに復帰。復帰戦は4歳馬5歳馬の中で2番人気に支持され4着と健闘。以降もまた、コツコツと名古屋で走り続ける日々が続く。
一方、酒井オーナーは認知症が進んで高齢者施設に入り、所有馬も手放していった。しかし2015年の勝利を最後に勝ちがなく、高齢もいいところのヒカルアヤノヒメの引き取り手は見つからなかった。
酒井オーナーは2019年、ヒカルアヤノヒメのレース復帰を見届けて95歳で死去。結局最後まで引き取り手の見つからなかった彼女は、同じく引き取り手の見つからなかったエポックライジンとともに、娘の三原公子オーナーが馬主資格を取得して権利を引き継ぐことになった。
2021年12月22日、通算300戦を達成。18歳となった2022年には、1月のレースで17歳の塚本征吾騎手が騎乗。「馬よりも騎手が年下」と話題になった(実際は塚本騎手は2004年2月生まれなので、厳密には彼の方が2ヶ月年長。人間と馬の年齢計算の違いによる逆転現象である)。
2022年9月27日、18歳170日で名古屋4R「はい上がれ!しゃちほこ賞」に出走(10頭立て8着)し、クラベストダンサーの持つサラブレッドの国内最高齢出走記録(18歳164日)を更新した。
2023年1月1日、元日の名古屋1Rに出走(10頭立て9着)し、19歳での出走を達成。以降も走れる限りは最高齢出走記録の更新を続ける方針で出走を続けていた、が……。
通算317戦目となる4月10日のレースへの出走を最後にしばらく休養。9月に金沢の9歳以上限定戦・敬馬賞に登録していたが、直前に球節を気にする様子があったため大事を取って回避となる。
そのまま井上厩舎に在厩し、復帰へ向けて調整していたヒカルアヤノヒメだったが、11月12日の調教中に負傷。11月14日、三原オーナーのもとに井上師から「様子がおかしいから来て下さい」と連絡が入る。対面に来た三原オーナーの前では、洗面器いっぱいのニンジンを食べ元気な様子を見せたヒカルアヤノヒメだったが……翌15日、彼女は厩舎内で心不全により静かに息を引き取った。最後のお別れをしてきた関係者によると、馬房で眠っているようにしか見えない穏やかな姿であったという。
姫はいつまでも走り続けた
かくして19歳、人間換算するとほぼ還暦を超えた歳となっても、3歳4歳5歳の若者とともに、自分と歳のそう変わらない騎手を乗せて、新しくなった名古屋競馬場で最後まで現役で走り続けたヒカルアヤノヒメ。現役晩年には地元名古屋でも超高齢現役馬として徐々に注目が集まり、地元メディアで特集が組まれたり、名古屋競馬場のポスターに起用されたり、蟹江警察署の防犯キャンペーンで1日警察馬を務めたりして、出走のたびに名古屋のファンから大きな声援があがるようになっていた。ファンの掲げる横断幕には「名古屋の至宝」なんて言葉もあった。
なんでこんな歳まで走らされ続けたの? 引退させてあげればよかったのに……と思ったかもしれないが、19歳といえば繁殖牝馬としてもそろそろ引退となるような高齢。生産牧場の富菜牧場によると、地方移籍でオーナーが変わったことでオーナーと牧場の繋がりが切れてしまったため、繁殖入りの機会を逸してしまったらしい。
こんな年齢では繁殖入りの道もあるはずもなく、1頭の馬をただ生かし続けるということはかなりの出費を伴う。現役で走ってさえいれば出走手当を得られるが、引退してしまえばそれもなくなってしまう。実際、ヒカルアヤノヒメは出走手当を入れても厩舎への預託料などで年間数十万円の出費となっていたそうで、70歳を過ぎたオーナーが水泳教室のインストラクター等で働いてそれを賄っていたのである。
三原オーナーのもう1頭の所有馬エポックライジンは2021年、15歳まで298戦を走り続け、レース中の故障で引退、現在は乗馬クラブで余生を過ごしている。しかし引退したからといって所有している限りはオーナーの金銭的な負担がなくなるわけではない。
その上オーナー自身も既に高齢であり、いつまで所有馬を支え続けられるかはわからなかった。引退後の余生が安泰とは言えない以上、ヒカルアヤノヒメにとっては走り続けることが生きる術に他ならなかったのだ。
彼女を無事に走らせ続けるために陣営も手を尽くし、2021年以降はさすがに掲示板入りも厳しくなってはいたものの、別に最下位ばかりというわけでもなく、結構な確率で1頭か2頭には先着していた。馬体はしっかりしたアスリートのそれであり、ちゃんとレースになる走りを続けていた。
2024年も現役続行していれば、井上厩舎で2024年デビュー予定の望月洵輝候補生が騎乗することになる予定だったそうで、本当の意味で年下の騎手を乗せて走ることにもなっていたのだが……。
三原オーナーにとって、ヒカルアヤノヒメは母の形見であり、母の馬は競馬を愛した父から受け継いだ家族の絆の証。母の所有していた馬の最後の1頭となった彼女を、走れる限りは走らせ続けてあげたい――。そんな思いを背に、ファンの声援を受けて、ヒカルアヤノヒメは最後まで現役のまま走り続けた。
訃報を受けて三原オーナーは「とてもお利口さんな馬で、私にとっては家族。さびしいし、とても悲しい」「これからゆっくり余生を過ごせる場所を探している最中だったので残念です」と語った。
競走馬としては決して優れた成績を残したわけではない。しかし、ひとつの家族に愛され、人々に愛され、ヒカルアヤノヒメはその長い長い競走生活を生涯現役として全うした。19歳という高齢まで走らせ続けたことに賛否はあるかもしれないが、オーナーと陣営がヒカルアヤノヒメを大切にし続けてきたことは間違いない事実である。その馬生が彼女にとって幸せであったことを、そして安らかな眠りを祈りたい。
通算成績、317戦14勝[14-23-26-254]。通算獲得賞金、998.3万円。
血統表
メイショウオウドウ 1995 鹿毛 |
*サンデーサイレンス 1986 青鹿毛 |
Halo | Hail to Reason |
Cosmah | |||
Wishing Well | Understanding | ||
Mountain Flower | |||
*アルタデナ 1988 鹿毛 |
Lyphard | Northern Dancer | |
Goofed | |||
Lacovia | Majestic Light | ||
Hope for All | |||
*ゴールデンタッソー 1990 鹿毛 FNo.1-s |
Tasso 1983 鹿毛 |
Fappiano | Mr. Prospector |
Killaloe | |||
Ecstacism | What a Pleasure | ||
Toute Belle | |||
Lead Dancer 1980 鹿毛 |
The Minstrel | Northern Dancer | |
Fleur | |||
Banning | Crafty Admiral | ||
Efficient |
クロス:Northern Dancer 4×4(12.50%)
関連リンク
関連項目
- 競馬
- 競走馬の一覧
- 2007年クラシック世代
- サンデーサイレンス系
- 名古屋競馬場
- 競馬の珍しい記録の一覧
- ミスタートウジン - 中央競馬の最高齢出走馬(14歳まで現役)
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