内藤泰弘とは、霧烟る妄想の街または砂塵舞う灼熱の惑星または東京都中野区に住んでいる漫画家である。
友人たちへ、これから知り合う全ての人々のための概要
1967年4月8日生まれの男性。座右の銘は「犬は吠えるがキャラバンは進む」。
2013年時点の願い事は「作文みたいな歌詞のラップ全部滅べ」らしい。
辞世の句は既に決めてあり、「…ざまあねえなあ…。」とのこと。
漫画とかフィギュアとかデザインで飯喰ってる運のいい漫画家(本人談)。
かなりのアメリカマニアであり、アメリカン・コミックやフィギュアが自身の作品に与えた影響は非常に大きい。
アメリカの玩具を集めるというハイソかつエグゼブティブな趣味人の顔をもつ。本人曰く、洋トイの魅力とは「日本に比べシンプルだが、フォルム・アイディア・パッケージともにカッコよく、キッチュでかつバカバカしいという三重婚」らしい。
作風は日本の寺田克也、鳥山明をはじめフランスのメビウス、アメリカのジェフ・ダロウから多大な影響を受けている。特にジェフはアメリカにて本人に対面した際に「君の本(トライガン)をもっている」と言われ大喜びしたという。また、メビウス死去の際には信じられないと動揺した様子がツイートされていた。
このように、海外作家の影響が大きいためか、むしろ日本国内より海外での人気の方が高いくらいであり、単行本に至ってはハシラの手書き文字すら翻訳されるほどの徹底ぶりだという。
結構辛口なコメントを発することも多く、2005年4月14日のブログで「ケツメイシの某ヒット曲が某女性バンドルグループの代表曲とサビが丸かぶりだ」と当時誰もが思いながらも決して表で口に出さなかったことを軽々とブログで言ってのけたりしているほか、同年6月16日には当時ブームだった(今は完璧に忘れ去られた)電車男のドラマ版の主題歌がPVの撮影地だけでサンボマスターと見抜いたりしている(なお、当時彼はSakusakuとサンボにおおいにハマッていた)。
ダメな大人の来歴
- 1989年5月、初の同人誌『サンディと迷いの森の仲間たち』(別題・Little SANDY with Monsters in the Megaforest)で作家デビュー。
内容は亜人種の生き残りの男性学者が、同じく亜人種の生き残り少女と不思議な森で謎生物たちと織り成すファンタジーだった。
しかし、初めて届いた500部の梱包冊子を見た父親に
「お前の漫画がこんなに売れるものか!どうするつもりだ!?」と怒鳴られ、大喧嘩になる。
- 1994年9月、これも今は亡き懐かしの雑誌ファミリーコンピューターマガジンにて「覇王丸を描きたいがために自らを売り込み、仕事ゲットした」と語るタイアップ漫画『SAMURAI SPIRITS』が開始される。連載デビュー作となり、プロ初単行本も刊行されたが、連載は3か月で終了。単行本も早期に絶版になってしまい今となっては結構なプレミアモンに。かなり筋肉モリモリな覇王丸が印象的である(なお、初登場シーンはまさかの野ウ○チシーンである)。なお後年、サムスピ零で「妖怪腐れ外道」のデザインで参加している。零を製作した悠紀エンタープライズ(現・エクサム)のスタッフが熱烈なファンで、熱烈なオファーを受けた模様。
- 1995年2月、初のオリジナル連載作品にして代表作となる『TRIGUN』が月刊少年キャプテンで開始。それまでのファンタジックな現代劇とは異なり、宇宙を舞台としたSFガンアクションという「当時の」内藤作品としては異質な作品であったが、アメコミチックな風貌の主人公や重厚な設定の世界観がウケて同誌の看板作品に。
- 1995年9月、ニフティサーブのパソコン通信アメコミパティオに「ケルビムの館」について語っていたところ、その作者で大尊敬する作家、寺田克也氏と友人になる。午前3時に自宅になだれ込んだり、鳥山明の原画を見せてもらったり、引越祝いにヴァッシュのイラストをプレゼントされたりという親友となる。
- 1997年1月、少年キャプテン急逝(要するに廃刊)。何の予告も無くいきなり雑誌がブッ潰れ、全作品が打ち切り未完として終了するという、今考えても有り得ない事態で、「TRIGUN」もGUNG-HO-GUNSとの決戦途中で連載休止。同じころ、公式ページ「Electric Flyer」を開設。
- 1997年10月、半年前の読み切りが好評だったことからか、中断されていた「TRIGUN」が装いも新たに『TRIGUN MAXIMUM』として連載開始。完全に話が繋がっている続編ではあるが、「TRIGUN」中断部分からの再開ではなく、若干の空白期を残しながら前作の2年後からリスタート。
第1話からいきなり前作の末期に登場したニコラス・D・ウルフウッドが本格的に相棒として参戦し、正体が不明だった彼の十字架が武器であることが明らかになるなど、まさにタイトル通りの最初からクライマックスな作品であった。主人公ヴァッシュも別人のごとき変わり果てた風貌で登場したことで読者を驚かせた。
- 1998年4月1日、アニメ版『TRIGUN』がスタート。自身の敬愛するマッドハウスでのアニメ化。掲載誌廃刊があったにも関わらずアニメ化が通ってしまい、それに狂喜乱舞の様子はあとがきまんがに詳しい。かなり設定は異なっており、半年後の9月30日で終了するが、現在でも語り草になる深夜アニメの先駆けとなり、これはこれで良しとしてファンも多い。
- 1998年9月、アニメージュ増刊号に「TRIGUN」の空白部分でMAXIMUMにつながる重要エピソードであるフィフス・ムーン事件を描いた「TRIGUN 最終完成型」が掲載。2年近くの時を経てようやく作品の宙に浮いたミッシングリンクが埋められた。
- 2004年11月15日、ブログを開設。FTPサーバアドレス紛失により、 更新がメンドくさくなって長期間放置されていた公式サイトであったが、 ドメイン再取得とともにブログの形で再開され、数年ほどこの形態が続いた。但し、以前のようにイラストが見えることは稀になってしまった。ブログとしたのは更新が楽で 情報の整理と取り出し易さに長けており、電気チラシという最初のコンセプトに合っているというのが移行理由。しかし、「情報の整理と取り出し易さ」については、個人がログを保管でもしていない限り、現在は記事を読むのは困難である。また、このブログに掲載したイラストが勝手にパクられてSakusakuに登場したりしていた。
- 2007年5月、『TRIGUN MAXIMUM』完結。キャプテン時代から続いた足掛け12年にも及ぶ連載にようやく終止符が打たれる。なお、元・少年キャプテン作品で国際的人気を獲得し、さらにきちんと完結させたという作品は、これ以外にほとんど無いといっても過言ではない。
- 2008年6月、月刊ジャンプスクエアにて読み切り版『血界戦線』が掲載。好評のため、2009年2月号から4月号にかけて集中連載。その後、読み切り掲載を経て、2010年より、隔月誌ジャンプSQ.19にて連載し、2013年現在も継続中。特に「TRIGUN」との関連は無い独立した話だが、Nightowワールド全開で、同誌の看板作品となっている。
- 2009年7月6日、「TRIGUN MAXIMUM」ですぐれたSF作品に贈られる星雲賞のコミック部門を受賞。この賞がどのくらいすごいかというと、コミック部門だと最初の受賞は「地球(テラ)へ…」、その後「風の谷のナウシカ」や「うしおととら」、近年では「カードキャプターさくら」や「20世紀少年」が受賞した賞であり、映画部門だと「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や「ガメラ2 レギオン襲来」が受賞している。
- 2010年4月24日、12年ぶりのアニメTRIGUNにして初の映画作品「TRIGUN Badland Rumble」が公開。かなりの長期が経過したにもかかわらず、レギュラーキャラクターのキャスト変更は一切無いという珍しい作品に。作品の満足度は高かったものの、興行的には少々厳しい数字に。また、これに伴って、映画版の続編で原作漫画完結後初の外伝「TRIGUN番外編 ドドンゴ兄弟ハニーカムドビレッジの決闘」が古巣のヤングキングアワーズに掲載。元々別雑誌の作家とはいえ集英社連載作家が他社の雑誌に作品執筆するのは極めて異例である。
- 2010年6月6日、映画公開を記念して、NHK-BSのオタク番組「MAGネット」にてTRIGUNが番組全編使って特集される。内藤本人も登場し、3時間でヴァッシュ、ウルフウッド、メリル、ミリィの4人が描かれたスペシャル描き下ろしイラストを完成させる様子が放送された。このイラストは期間限定で壁紙として配布された(実は現在でもある方法でダウンロード可能)。
- 2012年5月5日、過去に発表した同人誌の読み切りや単行本未収録作品を集めた短編集「S.Flight」が202ページのA4版で刊行される。表紙は描き下ろしで、登場する主人公たちが飛行機に搭乗する爽やかな絵である。一般書店には置いておらず、とらのあななどの通販で入手可能。
- 2015年4月4日、『血界戦線』のアニメが毎日放送、TOKYO MX、BS11でスタート。放送時間は『TRIGUN』と同じく深夜帯。3月31日にはスガシカオから「気になる」というツイートが成されたことで内藤も歓喜。最初はエイプリルフールのネタだと思ったらしい。
単行本
彼の刊行する単行本は一種のルールが存在しており、カバー下には『隠された真の表紙』が存在しているほか、かなりカオスなあとがきまんががほぼ毎回掲載されている。
どちらも魑魅魍魎な別のNightowワールドを堪能できるため、ファンには大好評であり、たまたまページ数の都合でおまけ漫画が掲載されなかった際には「何でおまけが無いんだ!」と苦情が来るぐらいであり、本篇よりこっちを楽しみにしているというファンも少なくない。なお、この漫画に登場する内藤本人の自画像は、シンプルさ優先故か、かなりいい加減な風貌である(本人はもうちっといい男なんぢゃよ)。また、内藤漫画の名物である『黒猫様』が突っ込み役として定着している。
また、トライガン時代から原稿の加筆修正は当たり前で、雑誌掲載時とは絵や構図がかなり変わっていることも少なくない。これら修正作業故に休載やストーリー進行が遅くなる傾向があり、しかもWebでの活動が多いため、遅筆作家と思われることも多い。
パソコン、インターネットと内藤泰弘
まだPC-98が現役で、Macもようやくカラーになったようなころからパソコン通信を始めており、ネットでまだGoogleすらほとんど活動していなかった黎明期の1997年より自前で公式HPを立ち上げるなど先端技術には目が無い(2004年ごろまで存在)。このサイトでは、一部のカラーイラストがダウンロードでき、このサイトでしか見られなかった絵もいくつかある(アーカイブでは残っているので、探してみよう)。2005年から2009年にかけてはブログ、2009年以降はTwitterをファン交流に用いており、年代に合わせた形態を採っている。
また、同じ頃からパソコンによる漫画作成、イラスト執筆も行っている。
この頃のPC作画家はモンキー・パンチや寺沢武一など。しかし、我らがNightowは、彼らよりも遥かに早いペースでカラーイラストにペインターを利用し、漫画原稿もデジタル入稿に切り替えている。そのため、トライガンは初期と中期で若干ペンタッチが異なる。
MAG・ネットで語ったところによると、紙の原稿と違ってすぐに修正できる点は長所だが、服のシワなどを拡大して描き込める分、こだわればとことんこだわれるために時間が足りないところが短所であるらしい。
漫画作品は現在、紙の原稿はほぼ使わず、完全デジタルによる。まさにパソコンの歴史とともに歩んできた生き字引とも言える男である。
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関連項目
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