森秀行(もり・ひでゆき)とは、JRA・栗東トレーニングセンター所属の調教師である。
海外遠征に積極的な一方、その裏返しともいえるが、超合理主義でも知られる。
概要
1959年3月12日生まれ。実家は印刷所と競馬とは縁がないところで生まれる。
高校卒業後調教師は儲かると聞き、北海道で修行を積んだ後、二冠馬ミホノブルボンを育てることになった故・戸山為夫調教師の弟子になる。
1993年に戸山師が死去し、それを受け継ぐ形で厩舎を開業。故障休養中の二冠馬ミホノブルボンを走れない馬を預かるわけにはいかないと拒否し、早くも超合理主義の片鱗を見せた。一方で戸山師から引き継いだレガシーワールドは同年にジャパンカップを勝ち、厩舎開業年に早くも初GI勝利をもたらした。
受賞歴
超合理主義
森調教師といえば超合理主義といわれる。
これは「馬を預かったからには馬主のためならばどんな手を使ってでも一円でも多く稼ぐ」といったポリシーで、時に賛否両論が起こることもある。同じようなポリシーを標榜するのは他の厩舎にもないわけではない(例えば矢作芳人厩舎も「一銭でも多くぶんどる」考えで倹約につとめ勝てる相手を選んだレース出走を行っている)が、森師の場合は成績下位の馬に対する極端な事例が目立つのが特徴的である。
例を挙げると……
- 戸山師の弟子で自身の兄弟子でもあったベテラン騎手小島貞博、小谷内秀夫をいっさい起用しなかった。夫婦ともども実の息子かのように両騎手を愛していた戸山未亡人はこれに対して「森はいったい誰に育ててもらったと思っているのか」と不快感を隠さなかったが、森は「馬を預けてくれる馬主に対して、はっきり言えば技量の劣る騎手を乗せます、とは自分の口からは言えない」と明言した(なお戸山師は馬主に対して、馬を預かるに際し必ず「うちに馬を預けていただいた場合、ヤネは必ず小島か小谷内を乗せる。それが嫌なら他の厩舎に預けてもらって構わない」と事前に断りを入れていた)。もっとも、小島はその窮状を見かねた戸山厩舎の兄弟子・鶴留明雄調教師の後ろ盾を得て、チョウカイキャロルでオークスに勝ち、そしてタヤスツヨシで2度目のダービー優勝の栄光を得るに至る。
- 1997年当時まだ権威があったジャパンカップ(GI)に重賞未勝利のスノーエンデバーを出走手当目的で出走させた(14頭立て13着)。
- 2018年弥生賞(GII)に未出走馬のヘヴィータンクを出走手当目的で出走させた(10頭立てシンガリ負け、9位入線馬から20.7秒差)。なお翌年から未出走馬・未勝利馬が重賞などで特定のタイム差以上を付けられた場合手当が交付されない「ヘヴィータンクルール」が施行された。
- 2020年もみじS(OP)に新馬戦ブービー・未勝利戦シンガリ負けの未勝利馬ジャスパーメジャーを出走手当目的で出走させた(8頭立てシンガリ負け)。なおこの馬は上記の「ヘヴィータンクルール」をクリアし手当が貰えた模様。
- 2020年に重賞未勝利馬ヨシオをジャパンカップ(芝GI)、チャンピオンズカップ(ダートGI)と連闘させ(両方ともシンガリ負け)、翌年1月から3月にかけて障害を使った。ジャパンカップ出走は馬主(故人)の夢だったといいまだ理解のできるものだったが、連闘のチャンピオンズカップには特に疑問の声が集まった。
海外遠征
森は1994年の香港カップ以降から稼ぐ選択肢の一つとして海外遠征を積極的に取り入れている。また、早い時期から海外遠征馬に帯同馬を取り入れている。ちょっと海外競馬に詳しい人ならば「日本のほうが賞金が高いんじゃないの?」と思うかもしれないが、繁殖馬としての価値が上がることも考慮に入れてのことである。
管理馬のGI(級)勝利
- レガシーワールド(1993年ジャパンカップ)
- フジヤマケンザン(1995年香港カップ、但し当時国際グレードはGII)
- シーキングザパール(1997年NHKマイルカップ、1998年モーリス・ド・ゲスト賞)
- アグネスワールド(1999年アベイ・ド・ロンシャン賞、2000年ジュライカップ)
- エアシャカール(2000年皐月賞、菊花賞)
- ノボトゥルー(2001年フェブラリーステークス)
- ノボジャック(2001年JBCスプリント)
- スターキングマン(2003年東京大賞典)
- キャプテントゥーレ(2008年皐月賞)
関連動画
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関連コミュニティ・チャンネル
関連リンク
- 森秀行 / Twitter - ※但し2011年8月14日から更新が止まっている。
関連項目
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