97年古馬三強単語

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97年古馬三強とは、1996年から翌年にかけ古路線で幾度も戦った3頭の競走馬サクラローレル」「マヤノトップガン」「マーベラスサンデー」の総称である。三強新三強とも呼ばれる。

概要

3頭ともに体質・怪病気などでデビューや活躍が遅れたで、1996から翌年にかけ古戦線で幾度も対戦した競走馬である。

3頭の概要

詳細は各記事を参照。勝クラシック三冠レース以外時系列順で重賞のみ。

サクラローレル

Rainbow Quest ローラローラ Saint Cyrien
[1]金杯(東)(1995)、中山記念(1996)、天皇賞(春)(1996)オールカマー(1996)、有馬記念(1996)

騎手小島太横山典弘

栃栗毛1996年度代表三冠馬ナリタブライアン同期で、5歳時に予後不良級の重度の骨折があったが一年以上の休養を経て奇跡のカムバックを果たす。

マヤノトップガン

ブライアンズタイム アルプミープリーズ Blushing Groom
菊花賞(1995)有馬記念(1995)宝塚記念(1996)阪神大賞典(1997)、天皇賞(春)(1997)

騎手田原成貴

栗毛1995年度代表。体質の弱さもあってデビューが遅れたものの、その後覚ましい活躍をする。変自在な脚質で異なる戦法でG1勝利している。

マーベラスサンデー

サンデーサイレンス モミジダンサー ヴァイスリーガ
エプソムC(1996)、札幌記念(1996)、朝日チャレンジC(1996)、京都大賞典(1996)、産経大阪杯(1997)、宝塚記念(1997)

騎手武豊

栃栗毛日本競馬界に大きな潮流をもたらしたサンデーサイレンスの初年度産駒骨折や命にかかわるほどの疝痛に乗り越えて本格化した。

対決の歴史

齢の旧年齢は数え年で1歳多い(例:旧4歳→現3歳)

前日譚~1995年末まで~

3頭の中で年一つ上のサクラローレルは脚部不安や重度の膜炎があり出走できるようになるまで長い時間を要した。94年1月新馬戦を1番人気だったが9着と惨敗。次戦も勝てずにダートでの3戦でようやく勝利した。その後はクラシック出走を条件戦を3戦して1勝し、ダービートライアルである青葉賞に出走。3着に入り何とか出走権を得るものの、右後脚に球節炎を発症し日本ダービーを諦めざるを得なかった。次のクラシック菊花賞9月条件戦で復帰するも3着。さらに次戦セントライト記念8着、次々戦2着でクラシック出走はわなかった。

菊花賞後に条件戦2着になった後、脚部が良化したこともありその後の条件戦を2連勝し、ようやくオープンへとグレードが上がった。

マーベラスサンデーはこの年のデビューしていたものの、調教後に右膝を骨折、さらに放牧先で重度の疝痛で生死のを彷徨うほどだった。何とか一命を取り留めたもののこれらの事態からデビューは翌年に持ち越しとなった。

マヤノトップガンも本来この年にデビュー予定だったが、体質の善のため翌年のデビューとなる。

1995年に入り、晴れオープンとなったサクラローレルは年明け初戦のGⅢ金杯(東)(現在中山金杯)で勝利。初重賞制覇を果たす。次戦の目黒記念は2着となったが、天皇賞(春)に向けて注補とされた。しかし天皇賞(春)して調教が行われていた中で、調教中に両前脚第三中手骨折。良くて引退、最悪安楽死になるほどの故障だった。それでもサクラローレル営は諦めずに治療を決断。長期休養に入る。

年明けのデビューしたマーベラスサンデー2月デビュー戦を勝利し、続く条件戦にも勝利クラシック出走をすが直後に右膝を再び骨折。休養後、に復帰を図ったが調教中に今度は左後脚を骨折し再度休養。結局この年は重賞にも出走できずにほぼ棒に振る。

一方、マヤノトップガンは95年年明けにダート戦でデビュー。一番人気だったが5着となり以降2戦連続で敗北。4戦で初勝利条件戦を2戦連続で3着の後に中距離に伸ばした7戦で2勝を飾る。次戦は初の芝レースとなるロイヤル香港ジョッキークラブトロフィーだが3着と好走。芝適正を認められ以降は芝でのレースとなる。次の条件戦勝利標を菊花賞に据える。菊花賞トライアルとなった神戸新聞杯京都新聞杯で連続2着と好走。迎えた菊花賞本番では、有不在の混戦模様の中で3番人気に推される。レースでは4コーナー一気に先頭に立ったあとは直線で後続を突き放して、前年に三冠馬ナリタブライアンが打ち立てたコースレコードを02更新して勝利を飾った。

次戦は年末のグランプリ有馬記念だったが、ナリタブライアンヒシアマゾンといった有がエントリーしたのもあり6番人気。だがレース直後に先頭に立った後は一度も先頭を譲らず逃げ切り勝ちと驚異的な結果を出し、95年度の年度代表馬JRA賞最優秀4歳に選出された。

三強揃い踏み~1996年~

年度代表馬となったマヤノトップガン阪神大賞典で初戦を迎える。1番人気となったがそこには不調から復活を期すナリタブライアンも出走していた。レースでは、3コーナーマヤノトップガンが先頭に立ちマークしていたナリタブライアンが追走。4コーナー手前から2頭のマッチレースとなり、他を引き離して壮絶な最終直線勝負となった。デッドヒートの中、ナリタブライアンがアタマ差で勝利天皇賞(春)前としてナリタブライアン復活を印づけた。阪神大賞典GⅡレースではあったが今でも名勝負り継がれている。

その翌日、一頭の競走馬が長い休養生活からターフに戻った。前年重度の骨折をしながらも治療を諦めなかったサクラローレルである。前年走れなかった天皇賞(春)に向け、1年1かぶりのレース中山記念横山典弘を新たに上に迎えるが、重賞1勝で長期休養明けが不安視され9番人気に留まった。だが3コーナーまで後方待機ののち直線で一気の末脚で抜き去り後続に1と3/4身離して復活狼煙を上げた。

迎えた天皇賞(春)、1番人気ナリタブライアン、2番人気マヤノトップガン、大きくオッズに差がついて3番人気サクラローレルと、阪神大賞典一騎打ちを演じた2頭に大きな注が集まっていた。レース展開は阪神大賞典を想起させるものとなり、最終直線に注の2頭が先頭で入る。しかしマヤノトップガン中かかっていたのもあり直線半ばで後退。ナリタブライアン復活かと思われていた矢先、2頭の後ろに控えていたサクラローレルが差し切り1位入線。ついに初のG1勝利を手にした。途中まで先頭だったマヤノトップガンは5着となり思わぬ敗戦となった。

勝ったサクラローレルは以前の怪も踏まえて競馬まで休養。有がいなくなった宝塚記念マヤノトップガンは一番人気で出走し期待に応える余裕の勝利を見せ、天皇賞(秋)に向け、前戦としてサクラローレルも出走するオールカマーした。

オールカマーは、1番人気マヤノトップガンと2番人気サクラローレルで単勝1倍オッズで人気を二分するが、マヤノトップガン中かかって4着、サクラローレル勝利し、天皇賞(秋)に向けて明暗が分かれた。

一方こちらも骨折からの復帰となったマーベラスサンデー4月の復帰初戦を落とすも、条件戦を2連勝。オープンとなった後も重賞を4連勝し、初のG1天皇賞(秋)に向けて弾みが出た。

初の三強い踏みとなった天皇賞(秋)だったが3頭とも苦渋をめることとなった。1番人気サクラローレル、2番人気マーベラスサンデー、4番人気マヤノトップガンと全頭上位人気だったが、レースではサクラローレル上の横山典弘の騎乗ミスが重なり群に閉じ込められ3着、そのローレルマークしていたマーベラスサンデーは4着、マヤノトップガンは直線でってローレルに初めて先着するものの2着と各満足な結果に終わる。(優勝バブルガムフェロー)

この辺りから3頭が三強として扱われるようになっていく。

次の三強顔合わせとなった年末の有馬記念。このレースには三頭の他にもヒシアマゾンホクトベガといった有が出走し、世界競馬史上最高額となる875億円を売り上げてギネス世界記録認定登録された。1番人気サクラローレル、2番人気マヤノトップガン、3番人気マーベラスサンデーと3強で上位人気を独占する。レースではマヤノトップガンが前へ行き、サクラローレルマーベラスサンデーが中団で進む。3コーナーサクラローレルマーベラスサンデーは先団へ進出。最終直線で脚が伸びないマヤノトップガンを3強2頭が追い抜き、最後は強い末脚でサクラローレルが2着マーベラスサンデーに2身半付けて圧勝。マヤノトップガンは7着と惨敗し、サクラローレルが96年年度代表馬、最優秀5歳以上に選出された。

三強最終決戦~1997年天皇賞(春)~

有馬記念勝し、海外挑戦をしていたサクラローレルだったが、軽度の骨折をしておりぶっつけ本番で天皇賞(春)連覇をすこととなる。

他の3強2頭は天皇賞(春)標に前戦へ向かった。マヤノトップガンは去年と同じく阪神大賞典へ。上の田原成貴はここで今までとは大きく作戦を変え最後方からの追込でレースに臨んだ。結果折り合いついたマヤノトップガンは3身半差つける圧勝。マーベラスサンデー産経大阪杯でこちらは1身半差つける快勝を見せ両ともに順調な仕上がりを見せた。

図らずもこれで三強の最終決戦となった天皇賞(春)有馬記念に引き続き3頭が上位人気を独占し、1番人気サクラローレル、2番人気マヤノトップガン、3番人気マーベラスサンデーとなった。レース本番、後方待機のマヤノトップガンがかかり気味に前へ行こうとするも群に閉じ込め落ち着かせる。サクラローレルマーベラスサンデーは中団にいたが、2週向こう正面でサクラローレルが外からかかり気味に上がっていき、マーベラスサンデーも追随。他もそれに触発されてペース一気に上がった。上がっていったサクラローレルマーベラスサンデーは最終直線入口で先頭に立ちこの2頭の優勝争いかと思われたが、大きく離れた後方から脚で猛マヤノトップガンが迫ってきた。直線であっという間に2頭を追い越し、それまでの天皇賞(春)レコードタイムを27も更新して1と1/4身差つけて前年の辱を果たした。2位サクラローレル、半身差で3位はマーベラスサンデーで4着以下に4身差つけ97年古馬三強で上位を独占した。この対決は今でも日本競馬史に残る名勝負とされている。

その後

サクラローレルは予定通り凱旋門賞挑戦のため渡したが、前戦のフォア賞でレース中に右前脚に屈腱不全断裂を発症、最下位8着に敗れる。レース中の故障だったためか現地の医師殺されかけたが間一スタッフのおかげで助かり、故障2日後の9月16日引退

マヤノトップガンは休養後に次戦の京都大賞典に向けた調教中、左前脚に浅屈腱炎を発症。9月25日にこちらも引退となった。

残ったマーベラスサンデーは3強2頭がいない宝塚記念に1番人気で出走。後方待機から3コーナーで先団に進出、クビ差で前年に敗れたバブルガムフェローを制して初G1タイトルを手にした。宝塚記念後に発覚した4度骨折もあり休養、年末の有馬記念焦点を合わせた。迎えた有馬記念では1番人気に支持され、最終直線で一度先頭に立つも外から追い込んだシルクジャスティスにアタマ差2着と敗れた。翌年も現役続行の予定だったが、年明け初戦の阪神大賞典に向けた調整中に右前脚屈腱炎を発症し引退となった。

3強は3頭ともに種牡馬入りを果たしたが、重賞勝ちはポツポツいるものの、G1を制した競走馬は1頭も出していない。(障害G1も含めればマーベラスサンデーから2頭G1が出ている。)

マーベラスサンデー2012年に一時種牡馬引退するも2年後に復帰と思いきやその年限りで再び種牡馬引退し功労として余生を過ごしたのち、2016年6月30日に24歳で死亡

マヤノトップガン2015年種牡馬引退し功労として余生を過ごしたのち、2019年11月3日に27歳で死亡

サクラローレル2012年種牡馬引退し、2020年1月24日に29歳で死亡した。

3頭とも競走馬時代は体質・怪病気に悩まされたが、引退後に安楽死となるも多い中、それぞれ往生し老衰で天国立つこととなった。

幾多の苦難の先に開いた晩成の3頭は人々の思い出としてこれからも咲き誇るのだろう。

対戦成績(3頭のうち2頭以上が走ったレース)

競走名をクリックすると各動画へ行けます(オールカマーニコニコになかったのでYouTubeリンク)

レース サクラローレル マヤノトップガン マーベラスサンデー 参考:優勝
96年天皇賞(春)exit_nicovideo 1着 5着 -
オールカマーexit 1着 4着 -
天皇賞(秋)exit_nicovideo 3着 2着 4着 バブルガムフェロー
有馬記念exit_nicovideo 1着 7着 2着
97年天皇賞(春)exit_nicovideo 2着 1着 3着

関連動画

サクラローレル

マヤノトップガン

マーベラスサンデー

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関連項目

脚注

  1. *翌年以降は中山金杯に名称変更
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97年古馬三強

1 ななしのよっしん
2022/02/08(火) 18:58:19 ID: xMX6nzH72r
3頭ともジャパンカップには1度も出走してないんだな
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2 ななしのよっしん
2022/05/14(土) 18:17:10 ID: DCrR9SmPUd
頂点の3強のうち2頭が栃栗毛ってのも凄い確率
88年の対決並みに確率低そう
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3 ななしのよっしん
2023/11/07(火) 11:57:01 ID: ZeA0BmAAaI
この頃みたいな三強をまた見たいと思っている、某ゲーム・アニメ民です。
もう少し私がく産まれてりゃ、会いにいけたのかな…然と歴史に名を残す三頭。これからもずっとずっと、人々の記憶に残りますように
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